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記念講演 「未来に生きる文化遺産」 文化的空間として理解を
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赤岩神社 入口 |
元文化庁長官 川村 恒明 さん
記念講演 「未来に生きる文化遺産」
文化的空間として理解を
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シルクカントリーの可能性を
語った川村さん
かわむら・つねあき 1936年、京都府生まれ。文部省学術国際局ユネスコ国際部国際教育文化課長などを歴任し、90―92年まで文化庁長官。国立科学博物館長などを経て現在は文化財建造物保存技術協会会長などを務める。
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シンポジウムの冒頭で元文化庁長官の川村恒明さんが「日本のシルクカントリー 未来に生きる文化遺産」と題して記念講演。一九九四年、前橋市での講演で「群馬は日本のシルクカントリー」と発言したことを踏まえ、文化遺産の本来の価値や活用の在り方などについて語った。
これから、世界遺産の登録やその活用について、どのように考えたらいいのか、お話ししたい。
「文化遺産」というのは最近の日本語で、これまでは単体で「文化財」と呼んできた。実は日本は一九五〇年に文化財保護法を制定するなど、文化財保護の大先進国。しかし、日本では非常に優れた「優品」を、国がトップダウン方式で文化財に決めてきた。
世界文化遺産というのも、実は同じような発想だった。当初の文化遺産はフランスのモンサンミシェルのようにレンガや石で造ったものが大切だとされてきた。日本の木製の建物では駄目なわけで、最初のころの文化遺産というのは「ヨーロッパの価値観」で選ばれてきた。
しかし八〇年代ごろから、世界遺産がヨーロッパばかりにあるという不均衡を正そうという動きが起こった。世界の文化が多様であるのならば、多様な価値観から文化財が決まっても良いのではないかという考え。これが世界遺産における「グローバル・ストラテジー」の考え方だ。赤岩のように自然と人間とがつくり出した「文化的景観」というのも、文化遺産の種類の多様化の一例だ。
文化遺産の価値はそれが帰属する文化の文脈の中で評価されるべきもの。つまり「イワシの頭も信心から」と同じで、世界遺産は国やユネスコが決める以前に、それぞれの地域で「これが大切だ」と言えればいい。グローバル・ストラテジーという考え方に基づけば、日本や群馬の文化に適した文化財を、胸を張って堂々と主張していって良いのではないか。
もう一点、大切なのは文化遺産としてのコンセプトを明確にしていくことだ。シルクカントリーではそれが明確になっているのが素晴らしい。シルカントリーが県民や上州人のアイデンティティー、精神的なルーツになっている。現在の絹産業は県にとって微々たるものだろうが、しかしその過去の存在は、意識の中で多くの県民に共有されている。
世界遺産の登録を目指すというのは非常に大変なこと。それを乗り越えたからと言って、それがゴールなのでもない。単に重伝建、世界遺産というレッテルが二枚はられただけで喜び、単なるブランドとして受け止めるのではなく、それを未来にどう生かすのかと言うことが一番大切だ。
世界遺産を活用するには、まずコンセプトを明確にし、文化遺産を文化財単体としてでなく、総合的な「文化的空間」としてとらえること。そしてその上で町づくりを行うことだ。シルクカントリーの場合でも、富岡と赤岩では町づくりは違ってくるはず。ケース・バイ・ケースに文化遺産を町づくりに活用していってほしい。
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■主催 |
群馬県、六合村、赤岩重要伝統的建造物群保存活性化委員会、フィールドミュージアム「21世紀のシルクカントリー群馬」推進委員会 |
■共催 |
上毛新聞社、谷根千工房、富岡製糸場世界遺産伝道師協会 |
■後援 |
群馬県教育委員会、財団法人群馬県蚕糸振興協会、県立日本絹の里、シルクカントリーぐんま連絡協議会、
財団法人群馬県教育振興会、
群馬県ユネスコ連絡協議会、日本放送協会前橋放送局、群馬テレビ株式会社、財団法人文化財建造物保存技術協会 |
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フィールドミュージアム「21世紀のシルクカントリー群馬」推進委員会
養蚕・製糸・織物などの歴史遺産を生かした群馬県の地域づくりを構想するため2005年、県内外の有識者8人で発足した。委員長は藤森照信・東大教授(建築史)。事務局は上毛新聞社内。「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録運動の一環で、昨年は日仏シンポジウムを開催した。 |
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