47・ 70代、落車して決断 「降りる時…」 掲載日2006/9/30
20代の内山さん

 1948(昭和23)年、県内で開かれた第1回自転車早回り競走の優勝者、内山昭二さん(79)=前橋市昭和町=にお会いすることができた。
  当時の記事で膨らんだ疑問を内山さんに聞いてみた。団体よりも個人がなぜ速かったのか。
  60年近く前の大会を、内山さんはしっかりと記憶していた。大会には、当時の北野重雄知事が出席。スタートは県庁前、ゴールは県庁前通りの当時の上毛新聞社本社だったことなど―。
  内山さんの乗った自転車は、競輪選手が乗るピスト。「全速力を出すと60キロくらいは出た」という。実家が自転車店だった内山さんは、競技用だった。一方、団体チームは実用車。車体の重さ、性能が大きく違った。
  内山さんは46(昭和21)年、群馬師範(現群馬大教育学部)の学生の時、奈良で初めて開かれた第1回国体に出場、自転車競技3種目で2種目で2位、1種目3位の好成績を残した。翌年の金沢での国体では2種目で1位と大活躍した。
  その後、競輪選手となったが、選手生活は短かった。事故によるけがのため1年弱で引退。その後は、結成されたばかりの選手会事務局長として選手を裏方として支え続けた。一方で、県自転車競技連盟理事長としてアマチュア選手の育成にも携わった。今年9月、52年務めた理事長職を退任した。
  「今も自転車にお乗りですか」とたずねると、内山さんは少し困ったような顔をした。
  「2、3年前に落車してね。もう年と齢しだから。ちょっとした障害物を避けきれなくて転んだりした。危ないから―と家族に止められた」という。
  老いはだれも避けられない。いつかは自転車を降りる時が来る。それが60代なのか、70代なのか。内山さんは「昔と違い交通量が多いからね。自転車に乗って周囲に迷惑を掛けるのは、避けたいよね」と静かに語った。


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