45・ 終戦直後に県内96キロ走破 早回り競走 掲載日2006/9/16
1948年4月19日の上毛新聞に掲載された「自転車早回り競走大会」の記事

 百年超の歴史を誇るツール・ド・フランス―。その起源は、フランスの新聞社が新聞拡販のために始めたものだった。それを倣ったかは判然としないが、県内でも戦後間もない1948(昭和23)年4月18日、「オール群馬自転車早回り競走」というレースが開かれた。
  先日、上毛新聞は紙齢4万号を超えた。その記念紙面の準備作業中、社史を読んでいたら、この事実に行き当たった。「どれくらい大会は続いたのだろう。道路事情はどうだったのか。自転車の性能は」―次々と疑問がわき、資料室で当時の新聞を探した。
  記事によると、主催は県体育協会、県自転車競技連盟で、上毛新聞社も名を連ねていた。第1回大会は、団体9、個人13選手が参加。午前9時半に県庁前をスタート。高崎、倉賀野、玉村、伊勢崎、太田、桐生、大間々、赤堀を通って前橋に戻る96キロのコースだった。何だか、今の実業団駅伝を連想させるコース設定だ。
  団体は富士産業呑龍工場が3時間2分19秒で優勝。平均時速30キロ超になる。個人は内山昭二さん(2時間50分34秒)が優勝、2位は0.2秒差で阿久津開司さんとある。団体よりも個人の方が速くゴールするなんて―と疑問に思ったが、後に2人とも競輪選手となっていたことが分かった。2人とも、日本選手権決勝に進出するなど競輪界でも活躍。その後、阿久津さんは交通事故に巻き込まれ、亡くなられた。内山さんは現在、県自転車競技連盟理事長を務めている。
  49年4月に開かれた第2回大会は距離が115キロとなった。団体は伊勢崎自協、個人は阿久津さんが優勝した。
  そして、50年4月の紙面を探したが、第3回大会は見つからなかった。同月23日、第1回前橋市営競輪が始まった。「入場者1万3千人余名、土手から傍観するものなどを合わせ約2万に近い盛況」(24日付)だった。初日第11A級2千メートルレースに阿久津さんの名前を発見。1位だった。


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