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1891年の建築と判明した高山社跡の2階建て蚕室 
 初めて確認された棟札の裏側。中央右側に「明治二十四」と書かれている(藤岡市教委提供)
1891年の建築と判明した高山社跡の2階建て蚕室
初めて確認された棟札の裏側。中央右側に「明治二十四」と書かれている(藤岡市教委提供)

国史跡・高山社跡 蚕室建築は「1891年」 定説より16年遅く 天井裏の梁に棟札 藤岡
掲載日2010/10/18

 明治期に養蚕技術「清温育」を開発した高山長五郎の生家である国史跡、高山社跡(藤岡市高山)で、現存する2階建て蚕室の建築年代が1891(明治24)年と確認されたことが17日までに分かった。これまで1875(同8)年ごろとされてきたが、長五郎の没後、清温育が全国に普及し始めた時期の建物と判明した。
 藤岡市教委によると、県教委の調査で蚕室を訪れた1級建築士の村田敬一さんが8月下旬、天井裏の梁はりに打ち付けてあった棟札の裏側を調べたところ、建築年代や長五郎の娘むこである高山武十郎の名前が書かれていた。高山社跡は長く個人の住宅として使われていたが、市が今月までに土地と建物を取得したため詳細な調査が可能になっていた。
 清温育は1883〜84年に確立され、84年に教育機関の養蚕改良高山社が設立。長五郎が亡くなった翌年の87年に事務所と伝習所が市中心部に移転し、全国から生徒が集まった。2階建て蚕室は高山社の運営が軌道に乗った時期に建てられ、分教場としても使われたとみられる。市教委は「明治8年ごろに平屋の母屋を建て、手狭になったので隣に蚕室を増築した可能性もある。母屋も詳しく調査したい」としている。
 高山社の歴史に詳しい宮崎俊弥・共愛学園前橋国際大教授は「蚕室はほかの建物より新しいのではないかと考えていた。今回の発見は明治10年代後半に清温育が完成し、高山社流の建築が広まっていった一連の流れに合致する」と話している。
 高山社跡は7590平方メートルの敷地に蚕室や母屋、長屋門、桑貯蔵庫などが現存し、養蚕発展を支えた技術の発祥地として昨年7月に国史跡に指定された。本県の世界遺産候補「富岡製糸場と絹産業遺産群」にも含まれている。

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