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記念碑(奥)の完成を堅曹の墓前で報告する美智子さん(左)
記念碑(奥)の完成を堅曹の墓前で報告する美智子さん(左)

速水堅曹の碑建立 旧官営富岡製糸場所長 子孫ら業績たたえる 茨城・取手の瑞法光寺
掲載日・2008/01/22
 富岡市の旧官営富岡製糸場所長を務めた速水堅曹ゆかりの記念碑が、茨城県取手市の瑞法光寺に建立された。本県の世界遺産登録運動を推進する「富岡製糸場世界遺産伝道師協会」に所属し、堅曹の子孫にあたる同寺の速水寿壮住職(55)の妻、美智子さん(52)が、同協会の歴史調査活動を通して、先祖の墓や堅曹の詠んだ歌を発見したのがきっかけ。お披露目の会には同協会メンバーや速水家の親せきら16人が集い、碑の完成を祝うとともに、堅曹の業績をたたえ合った。

 堅曹は一八三九(天保十)年、埼玉・川越生まれ。七〇年に前橋藩士として日本初の器械製糸場「前橋製糸所」を設立。米・フィラデルフィア万博の審査官を経験した後、旧富岡製糸場の所長を二回、計十余年にわたって務め、赤字体質の改善や器械製糸技術を広めることに尽力した。
 先祖の歴史に関心を持った美智子さんが、同協会の歴史ワーキンググループ員とともに調査する中で、川越市の妙善寺に堅曹の父、祖父母、曾(そう)祖父母の三つの墓があり、それぞれの台座に堅曹の歌が刻まれているのを発見。父の台座には「世の人ハ 常磐とも見す なつ山の 青葉にましる 松のひと木を」とあり、才能がありながら世間に知られずに短い生涯を閉じた父を悼んでいた。堅曹の人物像を知る重要な手掛かりとなることから、堅曹の墓がある瑞法光寺に碑として移し、保存することになった。
 完成した記念碑は高さ百五十センチ、幅八十センチ、厚さ十八センチの石柱三基と周囲の装飾で構成。石柱の中に、三つの墓石と歌碑をはめこんでいる。
 式典で寿壮住職は「墓が見つかったのも縁あってのこと。歌を詠んだ堅曹の気持ちを伝えていきたい」とあいさつ。美智子さんは「堅曹さんの業績を調べた成果の一つを、形に残すことができてうれしい」と喜んでいる。

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