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富岡市と下仁田町の境にある鬼ケ沢橋梁
富岡市と下仁田町の境にある鬼ケ沢橋梁

国産初期(明治期)の製造か 富岡・下仁田 絹遺産群・鬼ケ沢橋梁 都内鉄工所製作が有力
掲載日・2007/10/19
 世界遺産の候補地「暫定リスト」入りしている県の絹産業遺産群の一つ、旧上野鉄道鬼ケ沢橋梁が、百年以上前の国産初期の橋梁である可能性が高いことが富岡市教委の調べで判明した。同市教委は橋を市重要文化財に指定するための調査で「上野鉄道株式会社第一回報告」(明治二十九年)を発見。同鉄道の三鉄橋を東京都の鉄工所に発注した記述を確認した。同市教委は「鬼ケ沢橋梁も同じ鉄工所での生産と推測され、製造元、年月日を確定したい」としている。

◎富岡市教委 市重文指定で調査
 同橋梁は同市南蛇井と下仁田町白山の市町境の大谷川に架かる。プレートガーダ橋で橋げたは全長十メートル。保存管理を行う上で、両市町が文化財として調査していた。刻印や銘板がないため、製造元が不明で、これまでは「海外産ではないか」と見られていた。
 前橋市の文書館で発見した同鉄道の資料によると、一八九六年までに烏川と鏑川上、下流二カ所の三鉄橋の鉄げたを東京築地月嶋鉄工所に製作を取り急ぎ依頼した、との記述があり、鬼ケ沢橋梁も同鉄工所での製作と考えられるという。
 同市教委文化財保護課は「橋の鉄げたが国産化されたのは明治三十年ごろとされるため、鬼ケ沢橋梁は国産初期の製造とみられる」と分析。ほかの三鉄橋は架け替えなどで現存しておらず、「上野鉄道の当初の姿を残す数少ない構造物で、産業交通の歴史上、貴重な遺産」と価値を強調する。
 同橋梁は、高崎―下仁田間をつなぐ軽便鉄道の上野鉄道(現上信電鉄)が一八九七年に全線開通した際の建設とされ、大正時代の電化による路線変更で使用されなくなった。同鉄道は繭や木材、石灰などを輸送し、製糸業をはじめとする、富岡甘楽地域の産業に貢献。橋梁は県の絹産業遺産群にリストアップされている。
 下仁田町は昨年十一月に町重文に指定、先行調査を進めていた。同町文化財保護係は「富岡市と協力して、保存管理と調査を進めたい」と話している。

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