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田島弥平家 建築は1862(文久2)年で、間口26メートル、
奥行き15メートルの総2階建て。屋根には弥平が「養蚕新論」
で唱えた「清涼育」のために通風に配慮した櫓がある。
奥行き15メートルの総2階建て。屋根には弥平が「養蚕新論」
で唱えた「清涼育」のために通風に配慮した櫓がある。
ぐんま島村蚕種の会 先人の偉業後世へ 世界遺産候補地入り後押し
掲載日・2007/03/01
蚕種産地として栄えた伊勢崎市境島村地区に残る歴史や文化を多くの人に知ってもらいたい―。ぐんま島村蚕種の会(田島健一会長)は三日、同地区の案内会を開く。島村のボランティアガイド養成講座の総仕上げとして受講生が現地を案内する。ガイド養成には蚕種の会会員の思いが、ぎっしり詰まっている。ガイドは島村への愛着を胸に先人たちの気概も伝えてくれるだろう。
(伊勢崎支局・田中 茂)
◎見学者急増で
ガイド養成講座は、本県の絹産業遺産群の世界遺産登録運動効果で見学者が急増していることにも対応するため先月十九、二十六の両日と、三日の日程で開講。「島村のことをもっと知ろう」と、同会が昨年七月から十月まで計十回にわたって会員が講師となって開いた境島村郷土史学習講座の修了者らが受講している。案内する際に使う解説マニュアルは、県世界遺産推進室のアドバイスを受けながら学習講座の資料を基に会員が作成した。
島村は「養蚕新論」を著した田島弥平の出身地で、「養蚕新論」の指導に基づく櫓(やぐら)付きの大型養蚕農家が数多く現存。明治時代初期には日本初の蚕種会社「島村勧業会社」を設立、弥平らがイタリアに渡って蚕種を販売した。解説には史跡ばかりでなく弥平ら島村が生んだ先人の偉業も盛り込んだ。
◎講演に刺激
初日は境島村公民館で、約四十人が県世界遺産推進室の井手由喜さんの「地域ガイドとは何か」に熱心に耳を傾けた。受講した金井拓美さん(58)=境島村=は「島村の魅力を多くの人に伝えたい。特に若い人、子供たちに知ってもらいたい」と刺激を受けた様子。
大型養蚕農家 島村の新地地区には櫓のある大型養蚕農家が数多く
残る。左の建物は1868(明治元)年の建築で、間口22メートル、
奥行き9メートル。櫓が三つあるため「三つ櫓」と呼ばれる。
同会は、島村の歴史や活発化する世界遺産登録運動を踏まえ、養蚕農家群の保存・活用を目指そうと、弥平の子孫にあたる田島会長らが一昨年設立。養蚕農家が急速に姿を消していることから農家の建造物調査を実施している。
本県の絹産業遺産群は今年一月、世界遺産の国内候補となる暫定リストへの追加記載が決まった。島村の養蚕農家群は県から本県の候補地の一つとして提示されたものの伊勢崎市教委が推薦を見合わせたため構想からは漏れた。
だが、現在の十カ所のほかに、高崎市の新町屑糸(くずいと)紡績所などとともに加わったほうが、遺産群の価値は高まるはずだ。
島邨沿革碑 利根川の度重なる洪水を味方にして蚕種を盛んにし、
島村の名を海外まで広めたことが刻まれている。碑上部の「島邨沿革碑」
の文字は山県有朋が篆書(てんしょ)で書いている。
◎参加心待ち
「いつでも世界遺産の構想に参加できるよう怠ることなく準備していきたい」(田島会長)。その施策の柱がボランティアガイド養成講座。同会は「ガイド養成で訪れる人を迎える態勢が整う。これで島村の歴史を多くの人に知ってもらえる」と巣立つガイドに大きな期待を寄せる。
養成講座受講生の現地案内は三日午後一時半、境島小学校に建つ島邨(しまむら)沿革碑からスタートする。
申し込み・問い合わせは境島村公民館(電話0270・74・9345)、伊勢崎行政事務所(電話0270・25・0782)へ。
島村教会 一八九七(明治三十)年完成で、
当初の礼拝堂は木造平屋建て。トラス小屋組み
構造だが、強度を補強するため、一部で直径十三
ミリの鉄筋が使われている。
残る。左の建物は1868(明治元)年の建築で、間口22メートル、
奥行き9メートル。櫓が三つあるため「三つ櫓」と呼ばれる。
島村の名を海外まで広めたことが刻まれている。碑上部の「島邨沿革碑」
の文字は山県有朋が篆書(てんしょ)で書いている。
当初の礼拝堂は木造平屋建て。トラス小屋組み
構造だが、強度を補強するため、一部で直径十三
ミリの鉄筋が使われている。
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