寺院名 | 霊松山 歓喜院 金剛寺 |
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宗派名 | 真言宗豊山派 |
御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
住職名 | 第25世 志田洋遠 |
什宝 | 霊芝観音(室町時代)、掛仏(承安の銘)、大般若経600巻 |
住所 | 前橋市苗ヶ島町1147 |
電話 | 027(283)6918 |
FAX |
027(283)6815 |
由緒
開山は承安年間(1171~1175)赤城山大通庵に創建し、山号を霊松山、院号を歓喜院と号した。 次いで寺山と呼ばれる地に移り、慶長、元和の頃(1596~1624)第4世円義上人の代になり、現在地に建立されたと伝えられる。 宝暦年間火災の為灰燼に帰したが、7世智海阿闍梨和尚再建現堂宇は当時のものである。 創建時は京都醍醐寺派報恩院末寺であったが、明治になって奈良県長谷寺の末寺になった。 円義上人は、衆生つまり生きとし生ける者に仏の加護あれと願い、施無畏尊像(観世音菩薩)を刻もうとして、創建時の大通竜跡の松を採って材料としたところが、其の根に霊芝が生えてきてその形が尊像になったと伝えられる。 本堂格天井の花鳥図は、前橋藩士であり又御抱画師、森東渓の次男、森霞巌の筆になるもので、実に美事でその写実の妙、巧微な染筆は貴重なものがある。 欄間彫刻もほぼ同年代のものと思われ作者は「武江公儀御彫物棟染関東彫物大工」の肩書きを持つ彫刻師・関口文次郎(現勢多郡黒保根村上田沢)他4名の作である。 桜並木の参道には歴代住職の墓碑が並び、その中程に六地蔵石塔がある。 灯籠の形で火袋の変わりに六地蔵を刻んだ塔身を入れ、竿部に輪廻車孔を持っている石塔で、塔身部は三面を一面各々二体づつ地蔵を配し他の一面は弥陀三尊像を刻し輪廻孔左右に銘文が刻まれている。
銘文 ─ 奉建立六道能化為逆修宝 禅定也
永世三年丙寅三月十八日敬日 ─
又、当山は満蒙開拓で知られる東宮鐵男陸軍大佐、侠客大前田英五郎の菩提寺でもある。
文化財等
- 六地蔵(永世3年)
- 十一面観世音菩薩(室町時代)
- 宝筐印塔(享保11年)
- 掛仏(承安2年)
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欄間彫刻(江戸時代中期)
・唐夫人
・老采子
・楊香
・猿
・鳥
- 双体道祖神(寛政5年) / 近影
- 石殿(円義上人の墓)江戸初期
- 石造五重塔(元文3年)
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格天井 (森 霞巌作)
・花鳥(その1)
・花鳥(その2)
・羊
・猿
・鳥
- 秘仏(施無畏尊像)(年代不詳)
- 絵画『大足石刻(中国)』(前原 襄画)