タイトル
■1・萩原鐐太郎
「この一体感が喜ばれている」。蚕室を改良したギャラリーでサロンコンサートを開いた浦野千代子さん(左)
1905年、碓氷社前で撮影された視察者との記念写真。中央が萩原鐐太郎(平田卓雄さん所有)

 「わが碓氷社の組織はこの一家団らんということに最も重きを置き、これを基礎として組織した」「家庭の幸福と製糸上の利益と併せ得る方法は(中略)ほかにあるまい」  一八七八(明治十一)年、組合製糸「碓氷社」を地元有力者とともに設立した碓氷郡東上磯部村(現安中市東上磯部)の萩原鐐太郎は、明治末から大正初めにかけての社報にこう書いた。  当時の一般の製糸会社では、子女が親元を遠く離れ、寄宿舎に住み込みで働いた。ところが碓氷社は、加盟農家が家族一緒に暮らし、養蚕を行い、夜間や農業の合間に座繰り製糸を行うという方法をとった。農家の団らんの場である土間や縁側が碓氷社にとっての工場だったのだ。   これが何をもたらしたのか。

※ 全文は刊行中の「絹先人考」をご覧ください。


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