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《職に生きる(12)》 失敗経て安全への意識高く 尾瀬の魅力伝えたい
2009/07/12掲載
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尾瀬学校の子供たちをガイドする沼野さん |
山岳ガイド沼野 健補さん
どこまでも続く湿原に色とりどりの花が咲き競う尾瀬ケ原。山岳ガイドを務める沼野健補(けんすけ)さん(34)は、引率する尾瀬学校の子供たちを前に、水辺をそっと指さした。「ほらそこ。モリアオガエルの卵がかえっているよ」。白い泡状の卵の塊から、無数のオタマジャクシがかえっていた。珍しい光景に、子供たちから歓声が上がった。
尾瀬を拠点にする地元の片品山岳ガイド協会に所属したのが8年前。至仏山や燧ケ岳(ひうちがたけ)など、2千メートルを超える山岳地の案内もする。「貴重な植物や動物、保護活動を、できるだけ分かりやすく解説したい」
山岳地域は天候が変わりやすく、落雷の危険を伴う夕立の時は要注意。山頂を目の前にして、引き返すかどうかの判断に迫られることもある。そういう時には「今いる状況や予想できることを、お客さんに詳しく説明します。納得のいく行程を楽しんでほしいから」。
自然環境の厳しい山岳案内のときは、装備にも気を使う。無線機や救助道具、ライト、薬、包帯…。道具を一式そろえると数十万円にもなる。ザックに詰めると重さは十数キロ。荷物を軽くしたくなる時もあるが、「安全を背負っているのだから」と必ず持って行く。
太平洋に面した茨城県高萩市出身。高校時代からスノーボードの選手として競技に挑み、東北や関東のスキー場で腕を磨いた。卒業後は、アルバイトをしながら国内外の大会を転戦。世界ランキング130位に入ったこともある。
尾瀬を拠点にする地元の片品山岳ガイド協会に所属したのが8年前。至仏山や燧ケ岳(ひうちがたけ)など、2千メートルを超える山岳地の案内もする。「貴重な植物や動物、保護活動を、できるだけ分かりやすく解説したい」
技術を磨き、より適した雪質を求めているうちに、たどり着いたのが尾瀬のある片品村のスキー場だった。26歳の時、迷わず同村に移り住んだ。
冬場はスキー場でスノーボードの指導、夏場は建築作業や農家の手伝いなど、アルバイトが主な収入だった。山岳ガイドは知人の紹介。最初は見習いで経験を重ね、一人前に給料をもらえるようになったのが6年前。それでも、毎日仕事があるわけではなく、「最初は不安でいっぱいだった」と振り返る。
失敗もあった。まだ雪で覆われた春先の至仏山(標高2228メートル)に登山中、濃い霧に囲まれて道に迷った。やむを得ず山中で夜を明かし、明け方になって下山できたが、多くの知人が捜索してくれていたことを知った。山岳遭難の怖さが身に染みた。
今年1月、冬山の雪上をスキーやスノーボードで滑る「山岳滑走」の安全性を高めるため、仲間のガイドと協力して「群馬バックカントリーガイドネットワーク」を立ち上げ、代表になった。「どこまでできるかやってみたい。ガイドという職業への理解にもつながるはずだから」
(霜村浩)
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