視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
. | |
|
|
◎大切な情報伝え続けて 後を振り返る時が、老いの始まり、という言葉がありますが、私は今79歳、少しは後を振り返ってもよいかなと思います。 今回、オピニオン委員の一人として、上毛新聞の貴重な紙面に意見や提言を発表させていただくことになりました。私の半世紀余の体験をベースにしての考え方や感想など皆さまに愛読していただければありがたいと思います。 マスコミ(新聞、雑誌、テレビなどを通じて情報を送る大衆伝達) ミニコミ(少数の読者を相手とする情報伝達) どちらもとても大切だと思います。 1965年、金精峠トンネル開通により、日光と片品が直結し、このころから片品村は尾瀬、武尊、白根各山岳、丸沼、菅沼、各温泉群など恵まれた大自然、昔ながらの素朴で温かい人情や風俗などを中心にして、村は農業と観光立村の道を歩み始めたのです。そうした過渡期、子供や教育についてやや忘れられているような感がありました。 同年、わが家の長女が村の武尊根小学校に入学した折、PTAの総会や会議への出席者が少なく、学校からの大切な情報を伝えることができない、という悩みを先生から聞きました。それではPTAに広報部を作り、新聞を発行して会員に配布したらと、総会で提案し、「ほたかねPTA新聞」が創刊されました。そして4年ほど過ぎたころ、利根郡連合PTAの研究集会で、この地域で初めての事例としてPTA新聞の発行について研究発表しました。 71年、片品中学校のPTAに参加して、同じような形で、片品中PTA新聞「いずみ」を創刊、この時から新聞に愛称を付けることを始めました。77年には、参加していた武尊高校PTAで、同じようにPTA新聞「やまみち」を創刊。その後、尾瀬高校と校名が変わりましたが「やまみち」は通し番号でそのまま継続されています。 片品村は小学校4校、中学1校で合わせて5校ありますが、私が武尊根小PTA会長の折に、5校連合のPTA新聞の発行を提案し、生徒数に関係なく各校同ページ数、費用も平等負担ということで、片品連合PTA新聞として発行が始まりました。今ではPTA新聞の発行は常識ですが、草分けのころの試行錯誤は懐かしい思い出です。 新聞は広く情報を集め、各地域の登場者を多くして何ごとにも偏らず一人一人の意見を大切に発表していくものです。構成を変えたり特集を組む際などに、マスコミ紙も参考になりますが、ミニコミ紙は季刊とか、年刊とか発行間隔が長いので、記事や執筆者の選択が大切です。愛読される新聞作り、学ぶこと日々に新し、それがミニコミ新聞です。 (上毛新聞 2010年12月26日掲載) |