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群馬詩人クラブ代表幹事  樋口 武二(富岡市田篠)



【略歴】ミニコミの編集・発行に携わる。群馬詩人クラブの代表幹事、コミュニティマガジン「い」編集発行。2005年に自然保護活動で「群馬銀行環境財団賞」を受賞。


群馬の戦後詩の検証



◎萌芽育てる「場作り」を



 今年は、群馬の詩壇にとって、ひとつの節目の年であった。戦後から息の長い活動をしていた県内の有力な同人誌「西毛文学」と「軌道」が終刊した。連綿とつづいていた長い時間が息切れして、収束にむかっているということになるのだろう。昔から「継続は力なり」といわれているが、長い活動には、それなりの努力と結果が待っている、ということでもある。

 俳句や短歌の世界はわからないが、群馬の詩の世界は、戦後からの影響が色濃く残っているようだ。歴史のある同人誌が継続されているということもあるようだが、新しい世代の詩の書き手が育ってきていないという現実も大きいだろう。それは、世代の問題ではなく、むしろ「詩に対する考え方の違い」のある人たちが育たなかったということでもある。それは、いったいどういった現象なのか? そこを出発点として、始まったのが前橋文学館との「群馬の戦後詩の検証」である。戦後の人たちがどういう考えで活動していたのかという、しごく当たり前のところから、同人誌がどう変化し、継続し、地域の文学とどう関連するのかといった、大きなテーマに繋つながっていく、とても広がりのある仕事になりそうである。

 ものには寿命がある、ということは当たり前のことだ。戦後も60年以上が経過している。古いものは駄目だ、賞味期限の過ぎたものはいらない、といった考え方に私は与(くみ)しないが、そろそろ群馬の詩壇にも新しい風が吹いてよい時期だと思っている。そして、それらの新しい萌芽(ほうが)を養い育てるだけの「場作り」の仕事が急務であることは間違いのないことである。

 「戦後」という言葉が、懐かしい響きをもつようになってしまった。小説の分野では、とうの昔に戦後は終わり、新しい書き手が、新しい思考で書いている。詩の分野でも、多くの人たちが、新しい試みを始めて「詩ですらない」とまで評される現状がある。そうしたなかで、日常の生活を書き綴つづった、いわば「生活詩」とでも呼べる作品が群馬に多いのはなぜなのか。そこには新しいものへの恐れがあるような気すらしてならないのだ。詩も、文学も、いや私たちの生き方そのものも、もっと多面的であってもよいのだろう。

 文学にかかわり始めたころ、まだ十代の若者にすぎなかった私を、同人誌の先輩たちは一人前に扱い、社会的に名のある方も、ひとりの同人として接して頂けたということは驚きだった。あの時の先輩たちのように、おごらずに、淡々と若い人たちの話が聞けるような位置に自らが立たねばならない。異質なものに「否」の視野をもつ前に、謙虚に、それらを聞けるような人間になりたい、それが戦後の精神を継承するということでもあるのだ。








(上毛新聞 2010年12月24日掲載)