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建築家・著述家  武澤 秀一(東京都国分寺市)



【略歴】前橋市出身。東大卒。工学博士。1級建築士。同大、法政大で講師を兼任後、現在は放送大学非常勤講師。著書に「神社霊場ルーツをめぐる」(光文社新書)など。


豊かさの新基準



◎求めるべきは時間の質



 誰もが幼年期―少年期―青年期―壮年期―高齢期という段階をたどります。個人と同じように、社会にも同様の流れがあるようです。いい例がこの戦後社会。まっさらな状態からスタートし、貧しいけれども希望にあふれていた時代がありました。それが幼年期から少年期。その後、高度経済成長期を迎え、青年期に入ったのでした。繁栄を謳歌(おうか)したもののいつまでも続くはずもなく、ついにはバブル崩壊。長い低迷期がやって来ます。やっと回復基調かという矢先、リーマンショックに襲われて大打撃をこうむり、その後、不景気感が蔓延(まんえん)。この間、少子高齢化が深く静かに、かつ急速に進みました。この先どうなるのかと、不安感が社会を覆っています。

 戦後社会は既に壮年期を過ぎ、高齢期に差しかかっているのではないか。現状を直視するなら、そして西欧諸国の先例を念頭に置けばなおさらのこと、日本の社会の縮小化は必然と捉えるべきでしょう。ここは腹をくくり、根本的に発想を変える時ではないか。それでは滅亡してしまうという向きもあるでしょう。

 しかし風格ある老木には若い芽が吹き、再び次のサイクルが始まるのです。(古代文明が栄えた国も近代化には大きく遅れを取った。それが今や中国やインドに見るように、再び経済大国になってきた。一方、近代を謳歌(おうか)した西欧諸国は既に高齢期に入っている)

 「豊かさ」といえば、経済的繁栄をいうのがこの社会の常識となっています。しかし、物や経済は「豊かさ」を実現するための手段のはずです。今こそ、「豊かさ」の中身があらためて問われなければなりません。個人の領域の問題かもしれませんが、社会的にも方向づけが求められます。

 さて、豊かさの基準をどこに求めるか?そのキーワードとして、個人が過ごす「時間」の質の向上が挙げられます。工夫次第で、大してコストもかけずに実現できることです。

 例えば、今あるものを丁寧に使い込む、腹は八分目とし、省エネルギーを心がける、過度に貯蓄せず、消費は適度に―。こういうと堅苦しい生活のようですが、自由と放恣(ほうし)は違います。生活のなかに創意工夫を凝らす。想像力を働かせて充実の時間のなかに「豊かな清貧」を見いだしてゆく。社会の側では、縮小化社会にソフトランディングができるよう、既存の環境を活用しつつ整備してゆく。これならコストも、そうかかりません。

 縮小化の過程に文化的成熟を織り込むことができるなら、「豊かさ」本来の姿に近づけるように思うのです。価値観の転換に基づいて新しいライフスタイルを確立すること。それが時代のテーマとなることを願っています。








(上毛新聞 2010年12月3日掲載)