視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
. | |
|
|
◎心の中の世界遺産 藤岡市に住む小学校2年生の女の子とたびたび話す機会がある。この少女は私が通う書道教室のクラスメート。いつもはずかしそうに私との会話につきあってくれる。先日、季節外れの<桑の実>のことが話題になった。彼女はそれを美味(おいしい)と言ってニコニコ笑った。その実の名前はと問うと、ドドメだと答える。学校からの帰り道、ランドセルを背に友だちとたわむれて<桑の実>に群がる姿が想像され、私はうれしくなった。その独特な色に口を染めて、お互いの顔を指さしあって笑いころげているにちがいない。そう思うと、楽しい気分になった。 じつは、教壇に立つ大学の教室では、年々ドドメがきかれなくなっており、寂しい思いを抱いていた。ドドメは群馬県方言の筆頭にあげられるほどなじみ深い語だったはずなのにと。 養蚕が盛んだったころの群馬県の風景は、今はもうない。<桑原>も、すっかり変わり果てた。養蚕が衰退し、桑も姿を消した。<桑の実>に出合う機会を失った教え子たちは、ドドメという語を知るべくもない。群馬県方言ドドメの運命を理解したつもりになり、養蚕の衰退は、子どもたちの道草や遊びも変化させたのだと漠然と思っていた。 ところが、少女との会話によって思い直した。おいしい果実のあふれる現代にあって、じつはまだある<桑の実>を、見ようとしていない私たちがいるのではないかと。かつての子どもたちは、ドドメをきそってほお張った。美味しい実はモチドドメ(餅(もち)どどめ)、オコワドドメ(御強飯どどめ)。不味(まず)い実はイヌドドメ(犬どどめ)、ウマドドメ(馬どどめ)。子どもたちが、桑の木を発見しては、その実を口にして味の判定を繰り返していた証しだ。同時に、<餅>や<御強飯>が心ときめくごちそうだったこと、<犬>や<馬>が直近の動物だったことも語る。さらに「ふっくらとした大きくて桃色のような実が甘い」「かたいような小さい実は渋くて酸っぱい」とリポート。子どもたちは体験を通して、すべてを知り尽くしていた。自然を相手によく観察したものだ。養蚕という大人たちの経済的な営みの背後には、<桑の実>をほお張って遊ぶ子どもたちの文化があった。大人たちの生業の場は、そっくりそのまま子どもたちの遊びの場でもあったのだ。 今日も、実りを迎えた美味なる果物が食卓に彩りをそえる。やがて夏が巡りくれば、はたらきを終えたどこかの桑の木に、ドドメがたわわに実るはずである。ひっそりと実るドドメに、りんごやみかんとは別の楽しさを味わってみたい。口いっぱいに広がる味わいが郷愁をさそい、あたたかな温(ぬく)もりをもたらすだろう。目には見えない心の中の世界遺産だ。少女との会話がそう教えてくれた。 (上毛新聞 2010年11月25日掲載) |