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◎100年前に世界無銭旅行 今から100年前、明治43(1910)年に外国人として世界で初めて中国・四川省から当時、鎖国状態にあったチベットに入った群馬県人がいたことをご存じでしょうか。その人は矢島保治郎(1882~1963年)、佐波郡殖蓮村(現伊勢崎市本関町)に生まれ育った人でした。 同時代にチベットに入った僧侶、河口慧海をはじめ青木文教、多田等観などは宗教的な功績とともにその名は知られていますが、大きな宗教団体や軍隊、国家などの後ろ盾を一切持たず、たった一人で「世界無銭旅行」の冒険を果たすためにチベットへ入った矢島保治郎のことは、故郷群馬の人々さえあまり知らないのが実情です。 2012年に生誕130年。翌13年には没後50年を迎えるのを記念し、上州人・矢島保治郎の実績を郷土の誇りとして顕彰し、広く県民に知らせることを目的とした記念事業ができないかと企画案を持って、県、市、いくつかの県内企業などを巡ってみましたが、残念ながら誰一人として矢島を知りませんでした。 彼の生涯については、自身の著書で『入蔵日誌』(チベット文化研究所)をはじめ数冊が刊行されているのでここでは詳しくはふれません。ただし、いまなぜ、矢島保治郎なのか、そして彼が遠く離れた異国の地で生まれ育った上州を、父母兄弟が暮らす故里(ふるさと)の風景をどう思っていたのかを考えてみたいと思うのです。僕が矢島の存在を知り、興味を持って本格的に取材を始めたのは7、8年前のことでした。 興味を持った第一は、100年以上前の明治時代に「世界無銭旅行」を一人で計画・立案し、当時の時代閉塞(へいそく)の状況の中でも夢とロマンを抱き、その実現のために可能性を追求して、誰も成しとげなかったことを20代の上州の青年が実現させたということです。 二つ目には、3年間の苦労の末、世界各地を巡ってきたにもかかわらず帰国してわずか2日後にはチベット再入国をめざして出発。そして以後7年間にわたりチベットのために尽くしたことです。 ダライ・ラマ13世法王の信任も厚く、チベット女性と結婚し一子を授かり、そして帰国後は妻子とともに故郷・前橋で暮らしました。 今日で言う国際交流です。日本とチベット。チベットと群馬の真の交流のかけ橋となるという経験を矢島はすでに100年前にしているのです。 矢島が大志を持ってチベットへ入ってからちょうど100年。現在の日本はどうでしょうか。残念ながら政治、経済においても時代の閉塞感が漂っています。こうした現代社会だからこそ矢島保治郎のような常識に支配されず、自らの価値判断に基づいた精神力、行動力を学ぶことが大切ではないでしょうか。 (上毛新聞 2010年11月16日掲載) |