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◎豊かな文化創造の根源 上毛かるたで「心の燈台(とうだい)・内村鑑三」は有名であるが、「東大の心・内村鑑三」ということはほとんど知られていない事実であろう。かつて、内村は「デンマルク国の話」という講演で、戦争に敗れた国を復興させるにあたり、ダルガス父子の功績を例に、植林事業の意義と必要性を訴えた。荒地での植林成功は、木材生産のみならず、気候緩和、土壌改良、そして農作物の収穫をもたらした。しかし、国の再建において、最も貴いものは国民の信仰と精神であることを強調した。戦いに敗れたとしても、精神的には屈しない。復讐(ふくしゅう)ではなく、平和と幸福の理想を目指すということだ。 戦後日本の復興において、多大な役割を果たした一人として東京大学総長(当時)の南原繁を忘れてはなるまい。南原は、講演「新日本文化の創造」で、「新しい人間の教化-そのための真摯溌剌(しんしはつらつ)たる精神と文化運動」を呼びかけ、教育界のみならず、日本社会全体に希望の光を与えた。また、東大卒業式における演述「祖国を興すもの」の中で、デンマルク国の教訓に触れ、荒漠地を林野に変えた植樹事業や真理探究の不屈精神の重要性を語っている。 実は、東大の戦後初代(第15代)総長・南原繁と2代目(第16代)総長・矢内原忠雄は、共に内村鑑三を師とし、新渡戸稲造の教育に感化され、豊かな学術・文化の創造に寄与した人物なのである。すなわち、新制東京大学の設立と教育方針の根源には、真理と平和と科学を重んじた内村・新渡戸の伝統的精神が流れているのだ。 矢内原は、新渡戸が国連に転出した際、東大の植民政策の講座を継いだ。平和主義を貫いたため、一度は東大教授を退くも、戦後に復帰し、経済学部長、教養学部長を経て、総長に就任。卒業式告示では、自身の卒業式の日を、「自分の学んだ教科書や参考書やノートを机の上に山のように積んで見て、これらのすべての高さも、私がこの同じ期間に内村鑑三先生の聖書講義から受けた生命力には及ばない」と述懐している。そして、真理を愛し、正義の精神を体得し、学問技術を社会のためにと訴えている。 さて、「デンマルク国の話」は、1911年10月22日に行われた講演であるが、南原と矢内原は、その3週間前に同時に内村の門下生となっている。2人にとっては、学問的精神の原点になったに違いない。それから100年。2011年は、内村鑑三生誕150周年にあたり、偶然にも、国連によって「国際森林年」と定められている。国土や環境の回復には森林が不可欠であり、人間社会の発展には教育と豊かな精神性が重要である。この教訓を胸に、永続性のある環境倫理に基づいた自然共生社会と平和文化社会の実現に寄与していければ幸いである。 (上毛新聞 2010年11月14日掲載) |