視点 オピニオン21 |
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◎園児の感受性に安堵 <おりふしの移り変わるこそ、ものごとにあわれなれ>(徒然草、第19段)。 異常に暑かった今年の夏は骨身にこたえ、一体日本の自然はどうなってしまったのだろうと、多くの人が皆感じたことと思う。 それでもいつからか、空の高みに秋の雲など見えるようになり、新聞にも山の美しい紅葉など、秋を彩る写真が載るようになった。四季の風情に恵まれた日本人は700年近く昔の人も、今の人も変わらず季節の変化に敏感で、そこに美しさを見、移ろいゆく季節の変わり目に物思いなどして来たものだ。 「徒然草」の作者、吉田兼好は同じ段のなかで、さらに300年以上も前の「源氏物語」や「枕草子」を引き合いに出して、季節の移り変わりの情趣について記している。それは現代に生きる私たちが感じる心の動きとほとんど同質のように思える。多分、私たちの美意識は、このずっと以前から続く物の見方、感じ方からつながっているものなのだろう。 「わたしはこけしを見てなんじかんかけてつくっているのだと思いました。心のなかでたおしてしまったらどうしようと思いました。楽しかったです」 毎年「文化の日」に前後して1週間、「全国創作こけし美術展in渋川」が渋川市民会館で開催されるが、これは昨年の会場で来場者がその感想を投稿したものの一つである。毎年たくさんの来場者でにぎわうが、近くに保育園があるのだろうか、保育士に引率されて園児たちが行儀よく並んで見学に来る。前述の感想はそのなかの一人が書いていってくれたものだと思う。 何という純粋無垢(むく)な心ばえだろう。多弁ではないが、小さな胸のなかにいろいろなことを思いながら見てくれているのが伝わって来て、ほほえましい。「こけしに囲まれた空間を園児が目をキラキラさせて共有できた」と保育士の感想もあった。風土のなかから自然発生的に生まれて来たこけしだから幼い心にも届くのだろう。1000年以上前から培われてきた感受性が園児たちにも育まれていることに、ある安堵(あんど)のようなものを覚える。 長くこけしを作り続けていると、こけしを通じてたくさんの人と心のつながりができる。私のオピニオンを読んでくれた方が、後日「ひろば」に投稿してくれた。大分以前のことだが、人づてに私のこけしをお持ちで「作者の心を知り、大切にしたいとあらためて思い、紙面での“再会”を感謝したい」とあった。見ず知らずの方だが、このように人の心とつながれることもあり、ありがたいことと思う。 こけしは誰にでも共鳴してもらえる強みがあり、多くの表現の可能性を秘めている。次の世代につなげていきたいと心から思う。 (上毛新聞 2010年10月30日掲載) |