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◎日本を代表する財産に 今、世の中は新暦の神無月。しかし出雲の国は“神在(あり)月”である。桐生から旅立った生人形(いきにんぎょう)・素盞嗚尊(すさのおのみこと)は、他の神々とともに出雲の地に鎮座した。出雲大社に隣接する県立古代出雲歴史博物館の企画展「神々のすがた」に11月28日まで展示中である。大半が博物館や神社からの出品の中、この祭礼人形はひときわ異彩を放った。組み立て展示のために出張した折、お会いした人々に「桐生のスサノウ」掲載のPRチラシをお渡しすると、「見学に行きます」とは言わず、「お参りに行きます」という返事。やはりこの地は違うと感激したものである。 ちなみに、生人形師、松本喜三郎(1825~91年)は熊本で生まれ、大阪で修行して江戸に出た。生人形は、当初見世物(みせもの)として評判となった。「武江年表」に度々記録され、江戸っ子の度肝を抜くほどであった。そのリアルな表現は頭(かしら)にとどまらず、手の甲や、指のシワ、そして血管までが美しいのである。その正確さに大学東校(現東大医学部)は注目し、人体模型を依頼したほどの喜三郎人形は、海外でのコレクションも実に多い。今や桐生とか群馬の財産というより、日本を代表する祭礼人形となった感がある。出雲への旅立ちを前に、市長から「桐生市観光大使」に任命された。全国的にも人間以外では珍しい称号で、粋な計らいに感謝したい。 関東最大級の桐生祇園「四丁目鉾(しちょうめほこ)」は高さ9・2メートル、100の彫刻部材は前部は龍、後部は獅子、脇にはリスとブドウなどを四方全面に施している。彫刻師・岸亦八の手によって1875(明治8)年に完成した。1・5メートルのカシ材の車輪4本を付ける。屋根上には別組み立ての二層目の欄干を付けて緋(ひ)色の四方幕を、三層目は三味線胴彫刻と欄干上に生人形を乗せた特殊な構造となっている。しかも幕の図柄から彫刻と人形までが、古事記の「ヤマタノオロチ退治」の場面として一体で表現されているのである。 他に特色ある構造として、人形台を下げるには床下2人、下座1人、屋根上2人の人力で降ろす。方向転換となると心棒を落とし、4輪を浮上させ30人が取り掛かり、20分を費やすことになる。だがこの一連の作業こそ大いに見せ場となるのである。ご想像がつくだろうか。 来年は桐生市制90周年、久しぶりに鉾の曳(ひ)き違いが可能である。鉾2基が向かい合い、ニンバの囃子(はやし)で競い合う。ぜひ、ごらんになってほしい。名匠たちの建築芸術は必ずや期待を裏切らないはずである。 群馬が誇りある郷土にと願いつつ、7回の拙文を終了する。そして感謝を込めてペンを置くことにする。 (上毛新聞 2010年10月17日掲載) |