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◎豪放磊落にして緻密 群馬の人物を取り上げてきましたが、今回は群馬テレビ初代社長を紹介いたします。 いま、「地上デジタル放送」の本格化が近づいております。私が群馬テレビにおります時、この設備が具体化し、増資を含め、各方面のご理解とご支援をいただき、社内力を合わせて放送を開始することができました。 その初代社長が、諸田幸一(もろたこういち)翁(1903~86)です。群馬テレビは1971年開局で、大変な困難のなか、県はじめ各方面の支援、とくに上毛新聞社には人的にも協力いただき、役職員の尽力とで、今日にいたりました。 そして心強いのは、何と言っても県民の皆様方のささえでした。いまも、群馬テレビは、報道・教育・文化・スポーツ・家庭など、幅広い分野で、皆様の役に立つ、見応えのある番組づくりに励んでおります。どうぞ、多くの県民の方々に視聴いただきたいと存じます。 さて諸田社長は群馬銀行からの出向でした。その後、銀行業務に専念。のちに頭取、会長になり、また、社団法人全国地方銀行協会会長をつとめられました。この職は、原則として、首位の地方銀行の代表者が就任するもので、注目されました。 一行員からスタートして、銀行と業界のトップの座についたのは、群馬銀行では翁が初めてでした。 私は群馬銀行に入行したのが1953年。本店営業部でした。翌月の人事異動で着任されたのが、当時50歳の諸田部長です。 それからの諸田部長は文字通り、トップセールスで、営業推進にまい進されました。わが国が復興期から成長期に移行しつつあった時期で、地方経済も上昇期でした。 「地方銀行の使命は、お客さま、地域社会、地元企業、そして地場産業の発展に尽くすこと」、これを私たちに徹底されました。 豪放磊落(らいらく)に見えながら、緻密(ちみつ)に頭を働かせる諸田部長。時々大きな雷を落としました。それは、部下の人材養成でもあり、多くの幹部が育ちました。 新入行員の私たちには、直接の落雷はありませんでした。しかし“稲光”は見えました。とくに感じたのは「上に立つ者は絶対逃げてはならない。最後の責任は自分がとる」という強い姿勢でした。これは、私にとって、生涯の教訓となりましたし、ほかにも多くの教えを受けました。 吉川英治先生は「われ以外みなわが師」を座右の銘とされたそうです。私も、人生の師と仰ぐ、何人もの方々に出会いました。その中で、最初の師が諸田翁でした。 一時代、地元の報道・経済人として活躍した諸田翁を紹介いたしました。 (上毛新聞 2010年10月15日掲載) |