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◎西欧流裁判の真実とは 英語のオーディール(試練)という語の起源は古く、日本でいえば奈良・平安時代のころの古い英語(古英語)に由来します。元来の意味は、「試練」ではなく「審判」でした。当時の「審判」は、人が人を裁くことではなく「神」の裁きです。 『トリスタンとイゾルデ』の物語をご存じですか。ワーグナーのオペラで有名ですが、もともとは、ケルト(アイルランドやウェールズ地方)の民間伝承です。説話のため、いろいろなバリエーションがあります。ここで紹介する『トリスタンとイゾルデ』は、オーディールの意味が、「審判」から「試練」へと移ってゆく理由、そして、西欧流の裁判における「真実」とは何かを考えさせるものです。 * トリスタンは、英国の南西部地方にあったコーンウォール王国のマルク王に仕える騎士だった。トリスタンは、媚薬(びやく)のため王妃イゾルデに強い恋心を抱いてしまう。二人の関係に気づいたマルク王は、王妃の不貞を疑った。王妃は潔白を証明するために、オーディール(審判)を受けなければならなくなった。 王妃イゾルデは、城を出て審判の場所に小船で向かう。イゾルデと示し合わせて巡礼者に変装したトリスタンは、群集に交じって岸辺で王妃の小船を待っていた。小船が岸に着くと、王妃は、「すそが汚れるので降りるのを手伝って」と、岸辺にいる巡礼者に言った。巡礼者に化けたトリスタンが、手を差しのべる。 ところがその時、巡礼者は、足を踏み外してバランスを失い、支えてもらっている王妃もころびそうになった。巡礼者は、王妃がころばないようにと抱きかかえたが、二人は岸辺にひっくり返ってしまう。 当時の審判(オーディール)では、火中に入れて真っ赤になった鉄板がうそ発見器のように使われていた。真実を語っていれば触っても手には何の変化もない。だが、うそをついていたら手が火傷でただれてしまう。 審判の場でイゾルデは誓う。「私は、これまで王以外の男性の腕に、もちろん、さっきの巡礼者は別ですが、抱かれたことは一度もありません」。イゾルデは、真っ赤な鉄板に触った。神は審判を下した。イゾルデの白く美しい手はそのままであった。 * イゾルデは確かに「真実」を語り、貞操を「証明」したのです。神も法律家も、審判における「ことば」に重きをおき、それによって判断を下します。「ことば」と「ことば」の合間を縫ってうまくすり抜ければ、都合のよい「真実」が確定してしまうのです。 (上毛新聞 2010年10月14日掲載) |