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◎人に関心と気遣いを 窓からの風が心地よく、午後のアトリエも随分過ごしやすくなった。日陰へ移動することのできないものにとっては、この夏はたいそうこたえたことだろう。それでも暑さはじきに涼しさにかわり、次の季節が巡ってくることを私たちは知っているし、信じている。 ありがたいことだが、当たり前すぎて日ごろ意識することすらない。子供が親に叱(しか)られても、またその胸に抱かれることを知っているように…。 だが、幼いころから精神的・肉体的な快適さを子供が望むままに与えていると、感謝や慈悲の心は育(はぐく)まれにくい。このような感覚がないと、思い通りにならない場合にはさまざまな対象に不満を抱き、時には親までが攻撃対象になるようである。 人類の執拗(しつよう)な要求に身を削り苦しんでいる地球の姿や、どんな仕打ちをしても治癒へ向けて働こうとする私たちの体の細胞は、親子関係にどこか似ていないだろうか? 私たちは気付かぬほど大きな力によって守られているのかもしれない。 穏やかな自然や争うことのない世界を望みながら、人を蔑(さげす)み、暴力と怒りが生々しい番組やゲームの前に、子供たちを長時間座らせていることに抵抗のない時代。望む未来とは逆の方向へ座らせているように思えてならない。 平成の子供たちは傷つくことを極端に恐れるといわれているが、インターネットの中で会話し、否定されれば電源を切るという自己防衛をしながら、どのような大人になっていくのだろうか。無関心ではなく、自分たちの意識が未来をつくっていく。そう自覚していくときを、成長と呼ぶのではないかと思うのである。 いつぞや、電車で分厚い化粧をした制服の女子高生と乗り合わせたことがある。彼女はしばらく手鏡と熱心に向き合っていたが、乗車してきた年配の女性に気が付くと、かわいらしい笑顔で席を立ち、その女性を席へ促した。何とも柔らかい空気が辺りを包んだ。 彼女は今、もしかしたら学校の勉強より化粧の方に興味があるのかもしれない。だが、人への関心と気遣いを持っている彼女に敬意を表したいと思った。 人の喜ぶことを今日、私はできるだろうか。助け合って生活していた共存の時代から、勝手に生きるという方向に傾いてきた中で、このような行動を起こせる意識はまぶしい。進化とは古いものを全面否定するばかりではないと私は思う。私たちは自分にできる範囲で、望む未来のために動き始めてもいいのではないだろうか。 (上毛新聞 2010年9月27日掲載) |