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◎“自立した女房”に変化 群馬は夏暑くて冬寒い。風土に適した桑を植えて養蚕が発達した。この養蚕を支えてきたのが上州名物「かかあ天下」。最近の「かかあ」像は恐妻というよりも、経済的に自立した働き者の女房というイメージに変化している。 江戸時代の終わりごろまで上州の女性は、育児や炊事などの家事とともに糸つむぎ、機織り、裁縫という衣料生産を行っていた。明治時代に入ると日本が、西洋に対抗するために製糸への道を見出したことによって、繊細な養蚕・製糸は多くの場合、女性が従事することになった。農作物より収益の多い繭・生糸の生産に携わったことが、女性労働の評価を大きく変えた。第二次大戦後になると、働き者で明るく慈愛に満ちた上州のたくましい女性たちは、「からっ風」とならび「かかあ天下」と称されて上州のシンボル「かかあ天下とからっ風」となった。 「かかあ天下」の歴史は、もっとさかのぼることができる。『日本書紀』には、群馬県ゆかりの征夷大将軍上毛野形名(かみつけののかたな)が蝦夷(えみし)との戦いに敗れて逃亡しようとしたとき、それを嘆いた妻が形名に酒を飲ませて激励し、自ら数十人の女人を率いて弓の弦(つる)を鳴らして勇ましさを鼓舞すると、それに勇気づけられた形名の軍が蝦夷を撃ち破ったと記されている。 「上野三碑(こうずけさんぴ)」と称される古代の石碑の一つ山上碑(やまのうえひ)は、僧の長利(ちょうり)が母、黒売刀自(くろめとじ)のために建立した墓碑と伝えられる。「刀自」は戸主であり、家を管理する大女将の尊称である。名前の一部としてつけられる場合も多くある。同じく上野三碑の一つ金井沢碑は、三家(みやけ)氏ら6人と同族3人の計9人で仏教的なネットワーク「知識」を結ぶことを記した石文(いしぶみ)である。この中の4人が刀自の称号がつく女性である。他田君頬(たかだのきみめづら)刀自・加那(かな)刀自・●(ひづめ)刀自・乙(おと)●刀自らは、山上碑同様、家の長またはその代理として活躍していた女性たちである。 「母の歴史は数万年、父の歴史は数千年」といわれるように、動物の世界で母親は子どもに生後まもなく認知されるが、父親は子どもから認知されないまま終わることが多い。古代の婚姻は夫婦別居の妻問婚(つまどいこん)。夫には妻と子どもの生活と同時に、親との生活も日常的に存在しており、子どもの同居者ではなかった。『万葉集』の防人歌を見てみると、今の関東・東北地方にあたる古代東山道(とうさんどう)地域では、両親を並べて呼ぶ場合、「父母」ではなく「母父」と母親を先に呼んでいたことがわかる。 群馬のお父さんの居場所も、ずっと遅れて定着したのであるが、女性たちがのびのびと活躍している姿を見守ったお父さんたちの寛大さも評価したい。 ●は馬へんにつくりが爪 (上毛新聞 2010年9月21日掲載) |