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◎社会参加と成長を促す 日本には古来、人生の節目ごとにそれを祝い、神に感謝する「通過儀礼」と言われるものがあった。 出産に関することから始まり、宮参り、七五三など子供の成長に伴う祝いの儀式、結婚に関する習わし、長寿の祝いから葬儀まで、折々に数多くの儀礼が存在した。 今日、習慣として残るものは少なくなったが、根強く存在するしきたりもある。とくに、子供にかかわる儀礼は、その成長に沿って今日まで行われている。 近世まで乳幼児の死亡率はきわめて高く、「7歳までは神のうち」と言われていたという。江戸時代、7歳までの死亡率はなんと、5割を超えていた。子供を防ぎようがない疫病などで亡くすことが多かった時代、成長の節目ごとに、神に感謝し祝うことは、家族にとっても大きな行事だったに違いない。 時代によって移り変わりはあるものの、乳児から幼児、少年少女、さらには大人へと育つ節々の儀礼には、そこで祝い着として装う、それぞれの着物の形があった。 子供が生まれると、男児は31日目、女児は32日目に氏神に誕生を報告し、氏子として認めてもらう「宮参り」がある。これには一つ身といい、背縫いがない掛け着を着る。 乳児から幼児へと移り変わる3歳の祝いは、男女とも武家社会での「髪置き」といった儀式に由来する。それまでの短い髪から、髪を結うために伸ばし始めた。祝い着は反物の半分で三つ身に仕立てる。 5歳の祝いは、初めて はかま袴を着ける「袴着の祝い」に始まる男児のもの。 7歳は子供の祝いとしては最後で、これからは大人の世界に入る準備が始められた。江戸時代には、宮参りを済ませても、すぐには人別帳に記載されず、7歳になって初めてそこに名がしるされたという。それでようやく、人として認められたのだ。7歳は「紐(ひも)落とし」といって、それまでの付け紐による着こなしから、帯を結ぶ祝いだった。着物は反物の3分の2を使って四つ身に仕立てる。 一つ身から四つ身まで、いずれも子供の着物は、成長に合わせた反物の裁ち方があり、布を無駄にすることなく、合理的に作り上げられた。そんな先人たちの知恵と工夫には感服する。 今日まで行われている七五三などの儀式は、形式的、外見的なものとなってしまっている感がある。本来、成長段階における、けじめを持った育て方も、その目的の一つであったはずだ。 祝いは家族にとっての喜びはもちろんだが、子供にとって、着るものの変化とともに、成長における自覚を、また儀礼を重ねるごとに、社会参加と精神的な成長をゆっくりと促す。儀礼や着物の習慣から学ぶことは多く、深い。 (上毛新聞 2010年8月17日掲載) |