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◎群馬での浸透に驚き 群馬で暮らすようになって何よりも驚いたのは「上毛かるた」だ。大学の時に群馬出身の友人がいて、そういうものがあると聞いてはいたが、群馬で育った人ならば全員がかるたの読み札を暗記しているというのはさすがにうそだろうと思っていた。ところがそれがわたしの想像をはるかに超えて本当のことだったからだ。 たとえばわたしが働く新島学園短期大学の学生に「平和の使徒」「心の灯台」と問いかければ、たちまち「新島襄」「内村鑑三」と答えが返ってくる。たまに答えられない学生もいるがそれはみんな県外出身の学生だ。キリスト教学校だが、入学してキリスト教と出合ったという人がほとんどで、はじめはみんな少し身構えている。しかしこの忍者の合言葉のようなやりとりをした後で「新島も内村もクリスチャン」と一言付け加えれば、キリスト教の敷居がグッと低くなるのだから「上毛かるた」への信頼はかなりのものだ。 しかし残念なことに新島学園とはいえ新島襄について、ましてや内村鑑三についてはじめから詳しく知っている学生はほとんどいない。子どものころは新島襄を新島城というお城だと思っていたなどという驚きの意見もあり、そこからは私の出番だ。それにしてもキリスト教と接点のなかった学生たちが、『上毛かるた』を通して2人の日本を代表するクリスチャンの名前を記憶にとどめ、わからないなりに親しみを持っているのだから、それだけでも最初のスタート地点がだいぶ違うように思う。 ところで、講義の中では新島襄が「良心」を大切にしたこと、内村鑑三が平和主義者であったことなどを学ぶが、なぜ「心の灯台」が新島で、「平和の使徒」が内村でなかったのだろうか。逆でも良かったのではないだろうか。実はわたしは驚きからスタートし、今とても新鮮な思いでかるたの魅力と謎に引きつけられている。 まず不思議に思ったのは人物札9人中2人がクリスチャンであることだった。これはとても高い割合だ。調べてみると、かるたの制作、とくに新島襄と内村鑑三の札に関しては須田清基という安中教会で洗礼を受け台湾で伝道をした牧師が大きな役割を果たしていることを知った。「平和の使徒」「心の灯台」と言う言葉に関しても須田の新島・内村理解が大きく反映されているのだ。ありがたいのはこうした話に多くの方が関心を寄せて下さることだ。わたしの群馬での生活が『上毛かるた』に助けられ豊かにされていることに大変に感謝している。 (上毛新聞 2010年8月3日掲載) |