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◎教育関係者の目の敵に 6月末、沼田市で「紙芝居サミット」なる催事があった。紙芝居作家・画家が招聘(しょうへい)され活気があった。区分的に言えば教育紙芝居系だから、幼児の保・教育に関心をもつ参加者が大勢を占めていた。これはこの種の催事の全国的傾向だが、「街頭紙芝居」系にしぼっての展覧会が行われるという珍しい情報が飛び込んできた。横浜市立歴史博物館で今月24日より「大紙芝居展―よみがえる昭和の街頭文化―」と題して開催される。関連行事の中には「のぞきからくり」の移動舞台の組み立ても観覧に供するというから、学芸員の発想の豊かさをみる思いだ。 「街頭紙芝居」はその誕生直後から低俗なものとして特に教育関係者から目の敵にされ、今日もその見方が一部に残っている。絵に増して語りにおいて指摘されるような事実があったらしい。「らしい」と推測的に言うのは、語りの実体が遺のこされていないからだ。 元来街頭紙芝居の筋書きは多く口伝(タクヅケ)という方法で順次紙芝居業者に伝達されていた。裏書き方式になったのは、公安風俗取り締まりをやかましく言う当局の検閲制度がはじまった1938(昭和13)年からで、これにより語りのアドリブが不許になった。講談調にも似た業者それぞれの独自性が失われ、その反発が、時には隠れて脱線もした。戦後になっても小学校などでは観覧禁止のお触れを出したりした。それゆえ紙芝居業者の子どもは親の商売を恥じた。当然イジメがおおっぴらに横行し「学校に行くのがいやだった」との思い出を取材先で何度も聞いた。 しかし、すべての教育現場がそうだったというのではない。いま手元に35(昭和10)年発行の東京市内小学校5年の学級文集「町の青空」があるが、そこには大人も観客になっていて、以前は黙認されていた只見(ただみ)が近ごろ増えて、紙芝居屋のおじさんが困り顔だという。「もしかすればこのおぢさんもあまり売れないから、もうじきここに来るのをやめてしまふかも知れない」と小さい胸を痛めている。 教員の寸評では「紙芝居は町の子供たちの一つの世界です。紙芝居のおぢさんは紙芝居によっておぢさん一家の生計を立てています。町の子供たちはおぢさんの売る飴あめで、やっぱり小さな生活をたのしんでいます。私たちはもっとこうした町の辻々や裏長屋の空き地に展開されている人たちの生活に目を向けていこう」と指導している。 教育紙芝居分野の登場人物は、概して善人の大同団結で締めとなる。建前善人が跋扈(ばっこ)している現今、子どもたちはこの虚構の「善人」をどこかで見破り、絶望をひそかに覚えていく。しかし、街頭紙芝居のそれは最後まで悪人は悪人で終わる。そこに「悪」を憎む心根が育(はぐぐ)まれる。 (上毛新聞 2010年7月18日掲載) |