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NPO法人自然観察大学副学長  唐沢 孝一(千葉県市川市) 



【略歴】嬬恋村出身。前橋高、東京教育大卒。都立高校の生物教師を経て2008年まで埼玉大講師。1982年に都市鳥研究会を創設、都会の鳥の生態を研究。



天明3年浅間押しの教訓



◎問われる危機管理態勢




 葛飾は柴又、帝釈天といえば映画「寅さん」で有名だ。その帝釈天(正式名は題経寺)の墓地を訪ねたのはもう20年ほど前になる。天明3(1783)年の浅間山大噴火の際に亡くなった祖先の霊を弔うためであった。

 墓地には、「南無妙法蓮華経川流溺死(できし)之老若男女一切変死之魚畜等供養塚」と刻印された石碑があり、葛飾区有形民俗文化財に指定されている。噴出した火砕流は一気にふもとの鎌原村(現在の嬬恋村鎌原)を襲い477名の命を奪った。さらに吾妻川をせき止めてダム化。決壊した鉄砲水が川下の村々を押し流した。そのときの死者は千数百人とも推定している。溺死者の一部は江戸川べりの柴又村に漂着。村民が手厚く葬り供養したのがこの供養塚だ。さらに数キロ下流の小岩村の善養寺にも「浅間山噴火横死者供養碑」(都指定文化財)がある。江戸中期には利根川の水の大半は銚子ではなく江戸湾に流れ込んでいた。そのため、溺死者は柴又や小岩をへて江戸湾へ、さらに隅田川を逆流して両国橋近くにも漂着した。両国駅に近い回向院にも、浅間押し慰霊の石碑が残っている。

 天明3年の噴火は、その後の日本と世界の歴史に大きな影響を与えた。噴き上げた大量の火山灰や微粒子が地球全体を覆い、日照不足や冷害による凶作で天明の大飢饉(ききん)をもたらした。このとき問われたのは、幕府や諸藩の政策であり危機管理能力であった。急騰した米を大阪に回してもうけようとした東北諸藩は、藩内の食糧不足を加速させ、多数の餓死者を出した。津軽藩では餓死者8万人、田畑の3分の2が荒廃し、藩の財政は危機にひんした。対照的なのは白河藩だ。質素倹約と上方からの買米(かいまい)で飢饉を乗り切り、1人の餓死者も出さなかった。この業績をかわれた藩主松平定信は幕閣に登用され「寛政の改革」に取り組むのだが、皮肉にも緊縮財政が裏目に出るなど、幕藩体制の衰退へとつながった。

 他方、ヨーロッパでも、天明3年にはアイスランドのキラ山が大噴火。フランスでは大凶作となりパンの価格が急騰した。浅間山とキラ山という地球規模の複合大噴火はルイ16世の失政とあいまって、1789年のフランス革命の遠因にもなったとも言われている。

 折しも本年4月、アイスランドで大噴火が発生した。ヨーロッパでは空港が一時閉鎖され、フライトにも影響が出た。今後何年にもわたり、気候変動や食糧不足などが心配されている。噴火を人為的にくい止めることは不可能だ。しかし、食糧自給率を高め、気候変動に備えて危機管理態勢を整えるなど、人事を尽くすべき課題は多い。二百数十年前の浅間押しの教訓から学ぶところは大きい。







(上毛新聞 2010年6月21日掲載)