視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
.
画家  みうら ゆき(前橋市竜蔵寺町) 



【略歴】大分県出身。高校、大学とも油絵を専攻。1984年から山野草淡彩画というオリジナルな世界を確立。現在は個展活動のほか、花の絵教室を主宰。ことしで26年目になる。



アヤメ平の“住人”



◎温もり感じさせる挨拶




 空はこんなにも青く、限りないやさしさをたたえていたのか。透き通る光がまるでチングルマの花と化したようだ。水は空を映し、草と花の配色が美しい。

 やがて遠くから風がやって来る。湿り気を帯びて何となく温(ぬく)もりを感じさせる。それは草を揺らしながら這(は)うように近づいてくる。私は両腕を広げる。風は確かめるように私を包み、通り過ぎてゆく。“湿原の住人”との挨拶(あいさつ)はこうして交される。

 尾瀬のアヤメ平に初めて立ったのは数年前の6月、よく晴れた日だった。富士見小屋から木道をゆっくりと登る。以前住んでいた大分県では植物図鑑でしか見たことのなかった植物がそこらじゅうにあり、心が震えた。見渡す限りの視界が広がった時、私は言葉もなく、立ち尽くしてしまったのである。

 思えば群馬への引っ越しが決まった時に、尾瀬が近いということで随分羨(うらや)ましがられた。尾瀬というと、それほど別格で、皆のあこがれの聖地なのだ。観光シーズンに出掛けた友人は「本当に巡礼のようだった」と苦笑していた。

 大分にも素晴らしい自然は数多くある。だが、群馬とは気候風土が異なるため、素晴らしさも一味違う。久住山(くじゅうさん)には広大な高原があり、四季を通じて楽しませてくれる。特に気に入っているのは晩夏のワレモコウやルリヒゴタイなどが咲きそろうころだ。

 行けども行けども秋草の草原が続き、乾いた風が草間を抜けて音を奏でる。夕日が山のかなたへ吸い込まれてゆくころはことさらである。種を落とし、これから身を引いてゆく草木の静謐(せいひつ)さには訳もなく涙がこぼれてしまうほど。

 いつのころからか、われわれは清潔さを執拗(しつよう)に追い求め、洗うための薬剤をとめどなく大地に吸わせてきた。地球の皮膚は深刻なアトピーだろう。さらに森林までも切り出してきた。

 植物は言葉を持たないが、私はその姿を写生する時に一生懸命耳を傾ける。鳥や虫、夜は月や星などに心を開いていると、みんな一つにつながっているように感じられる。

 地球上で人類が絶滅しても何ら不都合はないとまでいわれているが、他の種族を救うことのできる唯一の種もまた、人類なのだ。かつて荒れ果てたアヤメ平も人の手によって救われようとしている。

 人の叡智(えいち)はあらゆることを可能にしてきたと思われるが、自分以外のもののためにその情熱を使うことができたらどれだけ素晴らしいことだろう。そして喜びに満ちてそれらがなされた時、恐らく生きとし生けるものは命を輝かせ、地球は穏やかに回っていることだろう。







(上毛新聞 2010年6月11日掲載)