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◎オリジナルな発想で 現在、街頭紙芝居が全国的に復活再演され、注目を集めている。きっかけの一つに県立土屋文明記念文学館が過去2回行った紙芝居展があるとはよく耳にする。町田市立文学館(東京都)では7月4日までその巡回展を開催中だ。実演日には席が埋まり予約を断られたと知人がこぼしていた。 さて、街頭紙芝居といえば「黄金バット」が名高いが、登場したのは1930(昭和5)年の秋ごろ。この年春、テキ屋の田中次郎や後藤時蔵らは、専属画家を雇い、それまでなかった「平絵紙芝居」を考案して「蟻友会」と命名した貸し元(製作所)を発足させた。 すべてが手探りだ。特徴の「主人公危うし、いかにあいなるか。続きはまたあした!」と興味をつなげていく「連続モノ」も、営業上編み出された方式で、当初は「これにて一巻の終わり」だった。 連続モノで人気を保つためにはめっぽう強い悪役の登場が不可欠だ。実は「黄金バット」登場前は、田中・後藤の共同原案、永松武雄画の「黒バット」シリーズが人気を呼んでいたが、悪役が強すぎていつになっても正義の味方に軍配が上がらない。上げてしまうとそこでシリーズは終わってしまう。頭を抱えていると会員の鈴木一郎という青年が、ならば黒バットをしのぐ超能力の正義の味方を登場させ、悪役を順次替えていけばいいと提案した。そこで鈴木によって創案されたのががい骨面のこの作品だ。突如、空のかなたから飛んできて悪玉をやっつけ、「ワッハッハッ」と高らかな笑い声とともに去っていく。まさに空想冒険活劇の名にふさわしかった。 空を飛ぶ超能力の正義の味方と言えば「スーパーマン」を思い出すが、こちらの登場は1938(昭和13)年6月、原作ジェリー・シーゲル、画ジョー・シャスターによって「アクションコミック誌」創刊号に登場したのが最初という。そうであれば「黄金バット」の方が7、8年早いことになる。決してまね事ではなかった。そのオリジナルな発想をテキ屋かいわいの青年たちがどこで入手したのか、残る資料はない。 こうして「黄金バット」は世の子どもたちにマント代わりの風呂敷をせがませることになるのだが、制作元では分け前をめぐって内紛が起き、永松、鈴木らは「蟻友会」を脱退し、新たに「話の日本社」を立ち上げる。 「黄金バット」はその後、亜流が多く制作された。その幾点かを筆者も見ているが、永松にはとても及ばない。1932(昭和7)年夏、永松はネクタイデザイン会社へ転出。後を加太こうじが引き継いで戦後も描くが、GHQは、加太が著作権者だと他者の制作を禁じた。当人はなんとも面はゆい気がしたと後年述懐している。 (上毛新聞 2010年5月25日掲載) |