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◎病気前と違った自分に 「この病気は治らないのですか」と精神疾患にかかった当事者やご家族から必ずと言っていいほど聞かれます。答えは、「治ります」です。ただし、けがや他の病気は治療すれば元に戻りますが、心の病気は病気になる前に戻ったとすると、再び病気になります。なぜなら、この病気にかかる方の多くが一生懸命で、きちょうめんであり、こだわりが強く、すぐ実行したがるタイプだったはずだからです。ですから病気が治るということは「病気になる前と違った自分になる」ということです。このような状態を「完治」ではなく、「寛解(かんかい)」といいます。この考え方を、家族や友人、仕事場、そしてなによりご本人が理解していかなければ「寛解」にはつながりません。しかし、この考え方を受け入れるにはとても長い時間を要するようです。 なにごとも一足飛びに成功へとは進まないものです。ご本人もその周囲の方も幾度も進んでは後戻りします。知識だけでなく失敗した経験が積み重なることにより初めて一歩進めるのかもしれません。この時、あせることは禁物です。しかし、それは簡単なことではなく、当事者は思い悩みます。だからこそ周囲の方々の理解と協力が必要なのでしょう。 心に病を抱える方を理解するということは、病気を理解するだけでなく、その病気によって、孤独感、罪悪感などを感じ、自分自身を許せず、つらく苦しい思いをしていることや、病気を受け入れてくれる人が少ないことなどを理解するとともに、「寛解」できることを信じてあげることです。そして、その時々の当事者をそのまま受け入れてあげることです。周囲の理解と当事者自身が今の自分を許せることが、必ず病気の回復へと導き、「寛解」へとつながるのです。 では、それにはどのくらい時間がかかるのでしょうか。例えば、風邪は短期間で治りますが、内臓疾患は長期間かかります。このように、病気の種類によっても病気を患った方の環境などによっても回復するまでの時間はさまざまなのです。ですから、どのくらいかかるのかという質問はナンセンスだと思います。ひとつだけ言えることは、精神疾患は長期戦だということです。例えば、病気の治療を受けると一時的に良くなったように見え、当事者も周囲も期待半分のせいか「良くなったんだ」「もうだいじょうぶ」と思いがちです。ですが、ここでもあせりは禁物です。一歩一歩、確かめながら歩んでいくことが「寛解」への近道かもしれません。 そして、この「寛解」という考え方は精神疾患を患った当事者を受け入れられる再生可能な社会の第一歩になるかもしれないと私は期待をしています。 (上毛新聞 2010年5月24日掲載) |