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◎達成感がその後の糧に 毎年今ごろの時期になると、私の母校、県立高崎高校(通称・高々)のある乗附の地には観音山からの新緑のにおいが漂い始める。今から二十数年前、私はそのにおいを「翠巒(すいらん)の風」と呼んでいた。なぜなら、この風が薫るといよいよ翠巒祭の準備が佳境を迎えるからだ。 翠巒祭とは高々の文化祭のことであり、毎年6月の第1土、日曜日に開催されている。当時のうたい文句としては「県内の高校で唯一の毎年開催」で「教師の手を借りず生徒だけで一から十まで組み立てる文化祭」であった。 私は第34回翠巒祭の実行委員長だった。就任時の公約は二つ。まず、その前年に前夜祭として十数年ぶりに復活したファイヤーストームを後夜祭に持っていくこと。次に、観客動員1万人を達成すること。 前者の達成のために教員側との度重なる折衝、消防署への事前届け・点検、近隣住民の方への周知徹底などを行った。観客動員のためには広報宣伝チームを拡充。ポスター掲出をお願いする店舗を増やしたりした。結果、ファイヤーストームは無事後夜祭で実施されたものの、観客数は8千人強にとどまったと記憶している。 さて、なぜこんな昔話をしたかというと、現在の私の基礎がこの時代に築かれたと考えているからだ。 翠巒祭を作り上げていくプロセスには、広告作業に通ずるものがある。消費者向けのイベント作業などはまさに翠巒祭そのものであるし、通常の広告制作作業も相似点がある。最終的なアウトプットに向けて、長期間にわたり最大限の努力を積み重ねること。自分たちの考えや感性を世に問うものであること。一連の作業が仕上がった時の解放感。お客さまに喜んでもらった時の達成感。もっとも広告の場合は、実際のビジネスとして結果評価もシビアに行われるため、毎回達成感に酔うこともできないのだが。 ただ高校時代のあの経験があったからこそ、今の職業を選び日々努力を続けていけるのだという気がしている。 天を焦がす勢いで赤々と燃えるファイヤーストームの前で、仲間たちと肩を組み、歌った校歌は40歳を超えた今も忘れることはできない。本稿を読んでくれる方の中には学生の方もたくさんいるだろう。どうか課外活動にも一生懸命に取り組んでほしい。もしかしたら、一生の仕事や趣味に通ずる何かが見つかるかもしれないのだから。 最後に、あの時声高らかに歌ったわが母校の校歌の一節をお借りして学生の皆さんにエールを送り、本稿を締めたいと思う。 未来よ、燦(さん)と輝け。 (上毛新聞 2010年5月11日掲載) |