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富岡製糸場世界遺産伝道師協会広報部長  外山 政子(藤岡市中大塚) 



【略歴】東京都出身。明治大卒。県埋蔵文化財調査事業団嘱託を経て、現在高崎市榛名町誌編さん室嘱託。「はばたけ世界へ、富岡製糸場」の刊行にかかわる。



近代化支えた機械類



◎産業の進歩発展を象徴



 先日、神奈川県横須賀市のヴェルニー公園を散策、その一角にあるヴェルニー記念館をのぞいてみました(無料です)。小さな建物の中に大きなスチームハンマーが2基据えられ、展示されていました。圧倒的な迫力でした。

 このスチームハンマーは国重要文化財として指定されています。江戸時代末の1866(慶応2)年に「横須賀製鉄所」のためにオランダから輸入され、その後、在日米海軍横須賀基地内船舶修理廠において1996年まで現役で稼働していたそうです。「横須賀製鉄所」は江戸幕府が自国での軍艦製造をめざしたもので、間もなくフランスとの交渉で海軍大技師のヴェルニーを迎えて、造船が開始されます。このヴェルニーの元にいたのが、富岡製糸場の設計図をひいたバスチャンです。深い縁(えにし)を感じます。

 「横須賀製鉄所」は江戸幕府が構想したプロジェクトでしたが、明治新政府によって事業が継続されました。新旧の政府が日本をどの方向にもってゆくのか、その基本理念は一致していたということでしょう。むしろ共通の危機感をもっていたといった方がよいかもしれません。これら機械類輸入の代価は「生糸」輸出による外貨獲得でまかなおうとしていたらしく、この考え方も新政府によって継承されます。日本全体が開国、近代化の波にあらわれているときに浮上してきたのが、外貨獲得のための「製糸」業の確立という命題だったのでしょう。

 近代化のための機械類輸入だけでも莫大(ばくだい)な費用がかかり、その上、技術指導者の招聘(しょうへ)いとその処遇、考えただけでも気の遠くなるような資金が必要です。にもかかわらず事業を遂行してゆく政府の姿勢には、一刻も早くわが国の技術水準を上げなければという強い意志を感じます。この強い意志の実行を支えたものが「製糸業」であったと考えたときに、「富岡製糸場」に背負わされた期待の大きさが見えてくるような気がします。輸出のための「器械製糸」開始は、同時に均質・大量生産・効率を求める「産業」の宿命へ踏み出した瞬間でもあったでしょう。

 産業は常に進歩を求められ続けます。この結果、建物も機械類も常に改良され新しく作り替えられます。スクラップ&ビルドといわれる「産業」の進歩思想の中で、「富岡製糸場」や横須賀の「スチームハンマー」が当初の姿を残していたことはまさに『奇跡』ではないでしょうか。

 産業の発展は機械や道具に象徴されます。公開が進む「富岡製糸場」でも、開所当時の姿を復原した製糸器械やエンジン、さらにはその後の改良器械も併せて見せていただけるようになることを願ってやみません。







(上毛新聞 2010年4月24日掲載)