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古代米浦部農園取締役  浦部 真弓(藤岡市鮎川) 



【略歴】岐阜県生まれ。中央大卒業後、東京都に入庁。病気退職した後の1990年から藤岡市で有機農業を開始。2004年に法人化した。古代米、穀類を生産している。


里山暮らしのために



◎若者たちにチャンスを



 私たちの農園では数年前から研修生を受け入れている。4月になり、新しい研修生がやってきた。一方で何とか独立までこぎ着けた研修生もいる。みな農家外からの参入だ。日ごろの暮らしが土から離れるほど有機農業を志す傾向が強いようで、経済的な豊かさより自然との共生が彼らの描く農業人としての理想の暮らしのようである。農園が有機農業一筋20年ということから、ずいぶんとひなびた地域を期待してくるらしいが、近くにコンビニもあれば道路網も整備されていることにがっかりするようだ。

 これまで卒業していった研修生のなかには、あえて山間部で就農した者もいる。過疎化が進んでいるため新規就農者に対して手厚い支援があることも理由の一つではあるが、何よりも自然豊かで里山の暮らしが息づいていることが魅力だったのだろう。生活の厳しさは相当のようだが彼女から毎月届く里山便りはいつも生き生きと輝いている。

 山があって家があって田んぼがある、そういう場所を里山というが、言葉自体はそんなに古いものではないらしい。農業を基軸として人間と自然が作り出してきた場所がだんだん当たり前ではなくなってきた今の時代に山里という言葉をひっくり返して呼び名をつけた人がいるのだとか。

 農業が生み出した生産物が商品となる一方で、人と農をはぐくんできた里山は商品とは見なされてこなかった。木材が商品となる一方で森が商品ではないことと同じだ。そのため森は荒廃するにまかされ、里山は衰退の一途をたどってきた。農産物が商品となることで生産者と消費者の距離は遠くなる一方で、里山や森には商品化されなかったがゆえの豊かさが残されていることに人々が気づきはじめた。里山暮らしにあこがれる若者は、暮らしの隅々にまで市場原理が支配するような社会の閉へいそく塞感から逃れたいのかもしれない。車もブランド商品もほしがらない、海外旅行にも行きたがらない、と経済人を嘆かせる若者たちは、これまでの価値観とは違う物差しで生きていこうとしているように見える。

 かといって今のままではいかにあこがれても自給自足的里山暮らしは困難だ。自然や家族を大切にしたい心優しき若者が生きていくためには、この国の経済構造が大きく転換する必要があるだろう。時代をけん引してきた世代にはその功罪は見えにくい。そのゆがみを修整して新しい価値観で次の時代をけん引していくのは若い世代の役割だ。高齢化著しい農業という産業で、いち早く若い人たちにチャンスを与えていくことが日本農業を再生する力になるに違いない。農園では彼らに技術を教え、体を鍛え上げて新しい時代へと送り出す。その先は彼ら自身が切り拓(ひら)くと信じて。








(上毛新聞 2010年4月18日掲載)