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◎真情に訴えるもの求め 日本では戦後しばらく(1950~60年代)タンゴが一世を風靡(ふうび)した時期があった。しかし、私の世代が成長するにつれてポピュラー音楽はロック全盛に変化した。 ところが、ここ10年来、日本のみならず世界中で静かな、しかし歴史上かつてなかった変化が起きている。それは、初めて本格的なアルゼンチン・スタイルのタンゴ・ダンスがブームになっていることである。19世紀末にアルゼンチンで生まれて、20世紀初頭に欧州に渡り、欧州製タンゴ(コンチネンタル・タンゴ)が作られ、ダンスも社交ダンスに変形したタンゴがもてはやされてきた。それが、昨今はアルゼンチン流に回帰した踊り方がはやっているのである。若者も含めてである。それはなぜであろうか。今回はそのわけを「ボルベール(帰還)」というタンゴ曲から探っていこう。 この曲はタンゴ史上最も高く評価されている歌手の一人、カルロス・ガルデルが35年、絶頂期さなかの事故死直前に映画の中で歌ったものである。歌詞はこんなことが歌われている…『自ら望みもしないのに、運命はいつも最初の愛に戻ってゆく。“時”という雪が髪を白く染めた。人生は風の一吹き、歳月の空しさに影の中をさまよい、君を求め君の名を呼ぶ。再び過去と出会うのが恐ろしい。想(おも)い出に縛りつけられた夢をみる夜が怖い。だがたとえ忘却が私の昔の想い出を消してしまっても、私はほのかな望みだけは持ち続けたい。』…アルゼンチン・タンゴは、かつて愛した女性の想い出―過去の誠実さ―忘却の苦しみ、といったことを歌っている曲が多い。この「ボルベール」もそうした情感を謳(うた)い上げている。だがそこには、過去の女性のことを忘れたくても忘れられない男性の“真情の吐露”ということのみでなく、「人と人のかかわり」に伴う「矛盾」に対する心底からの「懊悩(おうのう)と葛藤(かっとう)」があると言ってもよい。 今日、日本のみならず世界、特に先進国では文明の高度化、世界化が進んでいる半面、その個人も社会も、何か自分の“故郷(ふるさと)”―“帰るべき所”を喪失しているような感情に覆われているのではあるまいか。自らあこがれて、あるいは生活のために都会に出て来たけれども、そして田舎に帰ら(れ)ないのだけれども、心の奥底で何ともいえない“不安”に駆られ続けている人が多いのではあるまいか。人々の心の中に潜む不安は、哲学者キルケゴールからヤスパースに至る洞察の100余年後の今、複雑な実相を呈している。そうした中で、人の“真情”に心底から訴えかけてくるものを求める気持ち、それを音楽や踊りの分野で先鋭化しているのが、今日のアルゼンチン・タンゴ回帰ではないかと思うのである。 (上毛新聞 2010年4月5日掲載) |