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◎被災者の悲しみを理解 5年前、何かに吸い寄せられるように私は新潟県中越地震の現場に向かいました。それまでボランティアとは無縁だった私ですが、この時ばかりは違っていました。いまだにそれがなぜなのかわかりません。 そのころ私は、父が亡くなった後の母に付き添っていましたから、時間だけは十分ありました。結果、震災後のボランティアとして長期間現地に滞在することが可能でした。私は被災したお年寄りを中心にサポートすることとなりました。 そこで、私たちが何げなく使う励ましの言葉が、つらい思いをしている被災者を苦しめていることに気がつきました。ある時、私は一人のお年寄りにこう言われ、はっとしたのです。「がんばれ、がんばれって言われても、今までだってがんばってきたんだよ。これ以上どうがんばれっていうの?」。私は答えられませんでした。それ以降は、せめて私だけでも「がんばって」は言わないようにしようと努めました。 ところが、ボランティアの中にはその言葉を使わない若者たちがいました。彼らは見るからに元気がないボランティアでした。そして、何日も続けて活動してくれました。 それに対し、元気なボランティアは、テキパキと片付け、1日、2日で帰っていきます。その姿はボランティア活動ができた喜びに満足し被災者を励ましてくれました。 長期間滞在し、被災したお年寄りを担当していた私にはその対照的なボランティア双方とも必要でした。しかし、お年寄りに好評だったのは、前者の元気がないボランティアでした。当初、私はそのことがとても不思議でした。 ところが、日がたつうちに、それがなぜなのか、理解できるようになりました。それは、元気のないボランティアたちからの告白を聴いたからです。彼らは、学校や仕事に行けない、心の病を抱えた若者でした。誰にも理解されず、ひとり、悲しみやつらさ、苦しさと戦っていたのです。ですから、被災したお年寄りのつらさや悲しみを本当に理解できたのです。共鳴し合ったのかもしれません。そして、被災したお年寄りが不安な時、ただただ一緒に過ごしてくれたのです。 そのことを知った時、私はそれまで抱いていた心の病への偏見を考え直しました。そして彼らの持つ能力を実感したのです。 それ以後、私の周りにはいつしかそんな人たちが集まるようになりました。おそらく、この経験が現在の活動、「こころの応援団」につながったのでしょう。そして、これからも、彼らの持つ秘められた能力を信じていきます。 (上毛新聞 2010年3月28日掲載) |