視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
.
こけし作家  富所 ふみを(前橋市元総社町) 




【略歴】1971年より修業。78年独立。82年全国近代こけし展新人賞。87年同文部大臣賞。2007、08年全群馬近代こけしコンクールで内閣総理大臣賞。日本こけし工芸会代表。



伝統工芸の危機



◎手仕事の技継承を




 「こういうものがどんどんなくなっていったら、日本は滅びますね」

 いきなり物騒な話で恐縮だが、これは、暮れから今年の年始にかけて広島の百貨店で開かれていた「創作こけし工芸展」の会場で、お客さまから言われた言葉である。こういう場所へ来ると美術催事などをよく観みて回るのだと言う。無論この方とは初対面だったが、創作こけしというものに触れた時、古くから連綿とつながる日本人の美意識、それを支えて来た繊細な手仕事の技の美しさを見て、今そういうものがこの国から急速に失われていく現状を目の当たりにして感じている憂いを言葉にしてくれたものと思う。

 有り難いことである。江戸時代の末に自然発生的に始まったという東北地方の伝統こけしから数えても150年余り、さらに下がって創作こけしは戦後の半世紀ほどの歴史である。この国には長い歴史にはぐくまれた工芸がたくさんある。「こけし工芸」は他の伝統的な工芸から見れば日の浅いものだが、国土の多くを森林が占め、温帯モンスーン気候のもたらす美しい四季に恵まれた風土のなかで培われた日本人の心性にかない、作り手の思いが見る人に響いていくのかもしれない。

 この会場は広島市の中心商店街の真ん中にあり、大きな百貨店が4店櫛比(しっぴ)している中のひとつだが、ここでの創作こけし工芸展は今回で35回を数える。私が所属するこけし作家の会が創作こけしの普及のために移動展を始めて以来、現在に至っているものである。年間50週ほどある美術催事の内、35年間も続くのは珍しいという。こけしの持つ他の美術にはない「親しみ易さ」が、長く支持を得て来た理由のひとつと思う。

 しかし今、百貨店は大苦戦を強いられており、そこを会場とする創作こけし工芸展もその例外ではない。たまたま次週が隣県岡山の備前焼の展示会だったため担当の方と話題になったが、伝統ある産地も苦境のなか、何とかしのいでいる状態だという。

 以前この欄で、生家を美濃焼の産地に持つという方が「安心して家業を継げる時代ではなくなり、日本中のあちこちで同じようなことが起こっている」と述べていて、思いを深くした記憶がある。多くの人が今、日本の文化の現在、その行く末に深い憂慮を抱いているように思われる。戦後60年余りが過ぎ、復興期に人々が求めたものはほとんど満たされたと言える。だが失ったものも多い。

 創作こけし作りはひたすら自分の内面に向かい、形として表に出してくるものである。効率を第一義とする経済の仕組みでは、そこから最も遠い所にある。難しい局面にあるが、その継承に微力を傾注できればと思っている。








(上毛新聞 2010年3月25日掲載)