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◎街の中に溶け込む存在 記憶に残っているだろうか、和南城孝志(わなじょう・たかし)という彫刻家のことを。ノミとハンマーを片時も離すことなく、2003年3月6日、彼はガンと闘いながら、53歳の生涯を閉じた。 作品は今もさりげなく、街なかやビルで、そして自然の中に溶け込んでいるに違いない。名前は知らなくても、無意識のうちに彼の作品に接しているだろう。いつしか、空気のような存在になっていればうれしいのだが。 それは、県立近代美術館、高崎市美術館をはじめ、群栄化学工業や高崎信用金庫本店、桐生第一高校、パークイン桐生、そしてサンポウ本社や山田りんご園など、県内外に数多く点在している。 彼の彫刻が公共空間に初めて登場したのが、30年ほど前のこと。桐生市文化センター前の御影石の大作「溶融感覚」である。市民がスポンサーとなり、募金で完成したことを、評論家の針生一郎氏は大変喜び、その思いを『和南城孝志彫刻作品集第I巻』に寄稿してくれた。 和南城氏は桐生で生まれ県立高崎高校へ。彫刻家の矢崎虎夫氏に師事したのち、イタリアに留学した。ローマと日本を拠点に創作活動を続けるなか、アカデミックなブロンズ作品から、徐々に大理石の魅力に惹ひかれていった。「石の文化」のヨーロッパに渡り、「木の文化」で育った一彫刻家。東西文明の持ち味は後に開花する。大理石に東洋の精神性を吹き込んだのである。 帰国後は家族を東京に残して、高山村にアトリエを移した。群馬の雄大な山々は、思索する時間をも与えたに違いない。求道者のように。 彼の人柄は、多くの支援者を生んだ。故井上房一郎氏は積極的にさまざまな人に紹介していた。私や友人たちも、知人になり、友人になり、そして親友になったのである。 亡くなって半年後、高崎哲学堂の熊倉浩靖氏の発案で、「語り継ぐ会」が連続企画され、9人がその思いを言葉にした。私もその機会を得て話をさせていただいた。不思議と、心が安らぐ午後だった。ひとりの彫刻家が遺(のこ)したのは、作品だけではない。そこに存在し、溶け込んでこそ、野外彫刻の意味があることを訴えている。 都市機能と美の調和が論じられて久しいが、文化予算はなかなか伸びない。特別なものでなく、当たり前のものとしてほしいものだ。「これぞ作品だ」と主張しなくても、パブリックアートは広範囲に広がる。橋や歩道。街の入り口やモニュメント。奇をてらわず、飽きることなく、意思を持った存在を期待したいものである。 今年も命日を迎えた。旅立った彼に逢(あ)うために、作品を訪ねることにしよう。 (上毛新聞 2010年3月6日掲載) |