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NPO法人自然観察大学副学長  唐沢 孝一(千葉県市川市) 



【略歴】嬬恋村出身。前橋高、東京教育大卒。都立高校の生物教師を経て2008年まで埼玉大講師。1982年に都市鳥研究会を創設、都会の鳥の生態を研究。



ツバメ調査の半世紀



◎環境の激変のり越える




 巡りくる春のたびに、今年もツバメが飛来してくれるのかどうか、気になるところだ。かつての農村では水田を飛び交って昆虫を捕食し、家の中で人々に見守られながら子育てをしてきた。しかし、最近の建物は防犯や冷暖房の普及により、ツバメが自由に出入りするのは難しくなった。餌場である水田も減少している。

 ならばツバメは減っているのだろうか。しかし、ツバメの羽数の増減を明らかにするには、基準になるデータと比べてみる必要がある。昔のデータが必要なのだ。幸いなことに、長年にわたってツバメ調査が行われてきたところが関東地方に2カ所ある。群馬県(嬬恋村)と東京都心(東京駅・銀座などの地区)である。

 日本野鳥の会吾妻支部報「きくいただき」第34号(2007年発行)によれば、嬬恋村でツバメ調査が行われるようになった発端は、1954(昭和29)年3月1日のアメリカの水爆実験にある。マーシャル諸島ビキニ環礁での実験により、マグロ漁船であった第五福竜丸が被爆。原爆症で久保山愛吉さんが死亡した。農林省(当時)はこの事件を重くみて、「水爆実験がツバメの渡来にどのような影響を与えるのか」、嬬恋村に調査を依頼。嬬恋西中学校の当時の理科教師であった増田茂先生と生徒、日本野鳥の会吾妻支部などが調査を開始した。以後、半世紀を超えるツバメとイワツバメの繁殖調査が行われ、データが蓄積されてきたのである。

 嬬恋村(4カ所の集落)では、ツバメの営巣数は、50年代は47~76個。86年以降は約250個に増加し現在に至っている。イワツバメは50年代に969~1586個。86年以降は400~300個に減少した。岩場などで集団繁殖していたものが人家等に営巣するようになっていったん急増したものの、糞(ふん)害などが嫌われて減少したようだ。ところが、06年には、吾妻川にかかる橋げたで集団繁殖が見つかり再び復活の兆しがうかがえる。時代の変遷をのり越え、しぶとく生き抜いてきたようである。

 一方、東京駅周辺では84年に都市鳥研究会が調査を開始。4キロメートル四方の調査域でのツバメの営巣カ所数は、84年は44カ所もあったが、20年後の05年には16カ所に減少している。都心のビル街が、バブル経済、都市再開発、高度制限の撤廃による高層化等々により、ツバメの営巣環境が激変してきたことがわかる。加えて、天敵であるカラスの増加、都市空洞化によるツバメを見守る人の減少など、苦戦を強いられつつも何とか踏みとどまっている。

 嬬恋村と東京駅周辺、この2カ所のツバメたちの将来はどうなるだろうか。農村も都会も大きく変ぼうしつつある昨今、ツバメの視点でどうとらえ、物語ってくれるだろうか。今後の調査結果が楽しみである。






(上毛新聞 2010年3月2日掲載)