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富岡製糸場世界遺産伝道師協会広報部長  外山 政子(藤岡市中大塚) 




【略歴】東京都出身。明治大卒。県埋蔵文化財調査事業団嘱託を経て、現在高崎市榛名町誌編さん室嘱託。「はばたけ世界へ、富岡製糸場」の刊行にかかわる。



集緒器の変遷



◎明治時代から同じ形?




 もう随分前のことになりますが、発掘調査現場で白い「ボタン」のような遺物を一つ見つけました。直径は2センチほどでしたか、磁器製でした。おままごとのお皿のようでもあるし、しかも中央に小さな孔(あな)が一つありました。地元の方が「糸をつくる道具の部品だ」と教えてくださったのですが、「はて、さて、どのような道具のどこの部品だろうか」とイメージがつかめず、結局白いボタンは新しい時代(近現代)の遺物としてビニール袋のなかに納まってしまいました。

 ところが、ずっと気にかかっていた「ボタン」と再会することができたのです。「富岡製糸場世界遺産伝道師協会」の研修で安中市松井田町にある「碓氷製糸農業協同組合」の工場に見学に行ったときです。自動繰糸機にこの「ボタン」を発見、驚きました。繭から引き出された糸がこの小さな孔を通り、さらに複雑な経路をたどって小枠に巻き取られています。これが「集緒器」というもので、しかも中央の孔は要求される糸の太さに対応して大小あることを知ったのは、ボタンと出会ってからなんと20数年の時が流れていました。

 ではこの型の「集緒器」はいったいいつから使われているのでしょうか。現在、碓氷製糸で使われている自動繰糸機は、「繊度感知器」を装備した優れものだそうですが、もとをたどれば明治時代初頭にフランスやイタリアから輸入された洋式器械から工夫と改良を重ねて到達した姿と言えるでしょう。さまざまな器械の変遷を跡づけて見てゆけば、集緒器の変遷も分かってくるかもしれません。製糸専門家の伝道師仲間に教えていただいたのですが、文献によると、少なくとも洋式製糸器械の改良型・諏訪式繰糸機には使われていたのではとのことです。

 イタリア式製糸器械の集緒器については「碁石」のようなものであったとか。しかし、道具は基本であればあるほど変わらない傾向があります。集緒器のようなシンプルで基本的な装置も、当初の洋式製糸器械から変化していなかった可能性はないでしょうか。

 これから現存している器械をじっくり観察してみようと思います。見ていたはずでも認識していないことは多いもので、視点を変えれば新たな発見があるかもしれません。

 伝道師協会には蚕糸にかかわる専門家が多く参加しています。蚕についても器械についても詳しく、事実をきっちり伝えてくれます。おかげでよく分からなかった器械にも関心が向くようになりました。世界遺産登録運動にかかわって本当に良かったと思います。

 さて、調査現場から見つかった白い「ボタン」が、なぜそこにあったのか「来歴」はまだ分かりません。またゆっくり探ってみたいものです。







(上毛新聞 2010年3月1日掲載)