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◎他者巻き込み生きよう 思ふこといはでぞたゞにやみぬべきわれとひとしき人しなければ これは伊勢物語第一二四段にある在原業平の歌であるが、私はこれを伊勢からではなく、山本周五郎の『樅の木は残った』に引用されているもので知った次第である。この小説は仙台藩のお家騒動に取材した長編小説であり、事件に関する山本の秀逸な解釈に基づいていることで知られている。 『樅の木は残った』の中でこの歌は、藩を食い物にしようとする真の敵である伊達兵部宗勝を家老原田甲斐が倒すために隠忍自重を続ける心理を託したものである。ごく少数の同志以外には兵部を倒すという目的を明かさず、孤独のうちに忍びに忍んで時を待った。そんな折、ひなびた温泉場で一玄なる盲目の芸人に向かって業平のこの歌を通して自らの心の裡を披歴したのである。いわく、心のなかで思っていることは言わないでおこう、私と思いを同じくする人などはいないのだから、と。 かくして原田甲斐はこのような深謀遠慮を経て本懐を遂げるに至る。翻って、現代のわたしたちは、原田甲斐と同じような境遇にあったとして、甲斐のような緊張、あるいは忍耐を持続させることが可能であろうか。すなわち、一切の事情を人に告げず、周囲の誤解をも甘受しつつ孤独のうちにひとりで任務や課題を遂行することが。 近代的思考のなかで生きてきたわたしたちは、甲斐のように動くことはおそらく困難であろう。なによりもわたしたちは孤独ではないし、孤独であってもならない。周囲の人々といっしょに生きている。少なくとも他者と共に生きていくことを知っているのである。また、わたしたちはみな異なっている。「われとひとしき人」などそもそもいるはずもないのである。身近な周囲で、そして世界のなかでわたしたちは個人から社会、国家のレベルにいたるまでさまざまな他者と共に生きている。 伊勢物語に記された詞書によると、この歌の成立事情は明確ではないものの、そのときの業平は孤独をいとわず、むしろ孤独にあることを善しとする空気に住していたように思える。しかしそんなにひとりでむやみにがんばることはやめようはないではないか。生まれも育ちも、そして今の境遇もみな違う人と人とが共に生きているこの世界のなかでは「いはでぞたゞに」いる必要はない。幸いにして現代社会は正義を立てるためとしても特定の人だけが犠牲になることを許さない。それでは、いっそみんなを巻き込んでいってはどうだろうか。そして声に出して言おう、わたしといっしょに・わたしを助けて・みんなで、と。 (上毛新聞 2010年2月27日掲載) |