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県技術支援課有害鳥獣対策主監  久保寺 健夫(高崎市井出町)  



【略歴】1970年に県庁に入庁、自然環境課、蚕糸園芸課などで勤務。2006年から現職に就き、人や農作物に害をもたらす鳥獣の対策を担当する。


増えるイノシシ生息数



◎「猪垣」と捕獲で減少を


 1月中旬ごろからがイノシシの繁殖期とされている。この時期、オスは単独で動き回っており、このため、市街地への迷い込み等も多く発生し、県内でも1月26日の夕方、前橋市文京町(前橋駅南の住宅街)で出没したとの報道があった。

 現在、県内で生息が確認されているのは、平野部と丘陵地帯が接する高崎観音山、榛名山南麓(ろく)、赤城山南麓、桐生そして太田薮塚地区の八王子山系、そのあたりが最前線である。

 1978年(昭和53年)年ごろ、県内で生息が確認されていたのは県南西部、上野村周辺付近だけであり、その他、赤城山東北側でその可能性があると報告されている(環境庁、第2回自然環境保全基礎調査・動物分布調査による)。

 このころの生息数は、狩猟捕獲された頭数から考えると、77年度15頭、78年度17頭であったことから、多く見積もって数百頭と考えている。

 捕獲頭数は、88年度には173頭、96年度には1374頭、2006年度には5140頭と増加しているが、今、県内の生息数は優に1万頭を超えていると推計されている。

 県内では、これまでイノシシ被害対策にどう取り組んできたか。

 「猪垣(ししがき)」と全国的に呼ばれている遺構が県内でも確認されている。中世、イノシシが生息する山間地域では、多くの労力と費用を費やさなければ、収量を確保できなかったようである。弓矢等の貧弱な道具でしか捕獲できなかったこの時代、林と畑との境を掘り下げ、その土を畑側に盛り、盛り土の上に垣根を築いて侵入を防ぐ、猪垣が重用されていた。しかし、明治に入り、鉄砲による捕殺が可能となったこともあり、野生動物はその数を減らし山奥深くに潜む存在で、このため1980年代ごろまでは被害対策は必要なかったといえる。

 その後、さまざまな要因が重なり、生息域が拡大しているが、被害が顕著となりだした92年ごろから、奥多野地域で農地をトタン板で囲う方法が始まっており、これは今でも各地で見受けられる。

 侵入防止技術は、電気柵の三段張り、ワイヤメッシュの活用等、農地を囲う、新たな方法・機材が続々開発され、普及してきている。しかし、これらは、個々の農地を守る対策としては効果は高いが、生息数を減らさなければ、被害農地・地域が移動・拡大するだけで、全体の被害量は減少していない。

 このため、金網柵フェンス等を用いて集落を囲んで獣たちの侵入を防ぐ現代版『猪垣』を築き、併せてその周辺で捕獲檻等を設置して捕獲を行い生息頭数を減少させる方策が取れないか、検討しているところである。






(上毛新聞 2010年2月20日掲載)