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◎桐生での集い充実を 戦後文壇の旗手坂口安吾…。人は彼を無頼派と呼んだ。 安吾さんが急逝(1955年2月17日、48歳)してから、来月には55年目を迎える。しかし桐生で生涯を閉じたことは、あまり知られていなかった。ましてや3年近くも住んでいたなどなおさらのことだった。 桐生にひょっこり引っ越してきたのは、うるう年1953(昭和27)年2月29日の雪混じりの日であった。桐生には、同人誌「現代文学」の仲間、南川潤が夫人の故郷に先に疎開していた。伊東競輪事件をめぐり、南川の世話で桐生の人々が協力。そのお礼としてレストラン「芭蕉」での宴が桐生行きの決意を後押ししたのだ。浅草からの列車でみた太田市からの風景は、古墳だらけだと興奮し喜んだ。買継商、書上邸の10部屋もある1棟を借り文筆活動を開始したのだ。代表作「夜長姫と耳男」や「信長」など多数を世に送った。群馬を題材にしたエッセーも多く、「真庭念流のこと」は上毛警友に、「桐生通信」は読売新聞に連載した。 「あちらこちら命がけ」を信念に各地を取材旅行していた。そして高知から帰った直後、ストーブの傍に倒れ、帰らぬ人になった。 このような活躍に反して、地元の評価はまちまちであったが、90(平成2)年に、友人たちと初めての安吾忌を縁のある桐生倶楽部という社交場で開催した。それから20年、「安吾忌の集い」と「引越し記念日」には各地から安吾ファンが集結するまでに成長した。故人になられた三千代夫人にはいつも気に掛けて頂き、ご長男綱男氏は欠かさず参加し皆さんと交流を深めている。 近年では、個性的な会場と内容で来訪者をお迎えしている。ゲスト(以下敬称略)には朗読や語りを千賀ゆう子や阿部知代。ピアノ奏者に下山静香、板倉克行。大鼓の大倉正之助、尺八の吉岡龍見。地歌舞の古澤侑峯。太鼓の石坂亥士やフルート、ギター奏者など世界で活躍する大勢のプロの表現者により安吾作品に挑戦していただいてきた。 99年には手塚眞監督(手塚治虫の長男)による映画「白痴」が10年の構想のもと浅野忠信を主演に起用し完成した。1週間にわたる桐生での大掛かりなロケは初めてでもあった。映像の美しさは記憶に残るだろう。 2005年の没後50年は、原稿や遺品を展示した「手書きの安吾展」を開催。3千人の鑑賞者でにぎわった。 さて今年は没後55年である。日程は命日からは遅れるが、「坂口綱男写真展」を開催したいと思っている。桐生で生まれた写真家として、「安吾のいる風景」などを初めて紹介する。また「安吾忌の集い」も開催し、各地からの来客に満足感を与えたいものだ。安吾と桐生、そして群馬への好奇心を期待して! (上毛新聞 2010年1月17日掲載) |