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◎救われたひとこと 何はなくとも健康第一。しかし一昨年、私は“ドクターショッピング”を体験しました。激しい痛みに襲われ、県内の病院をはじめ新潟、埼玉、遠方では九州まで行きました。「原因不明の激痛から早く救われたい」一心の行動で、“おぼれる者は藁わらをもつかむ”とはまさにこのことでした。 たくさんの医師、看護師さんたちとの接触を通じ、本当に多くのことを学びました。それは“言葉は生きている”ということです。待合室で心身の苦痛に耐え、待つ時間の長いこと。「もう少しですからね」の看護師さんの優しい笑顔にどれだけ励まされたことでしょう。反対に冷たく機械的な「順番です!」の言い放ちには落ち込みました。 患者の患は“心に串が刺さる”と書きます。健康時とは比較できないデリケートな心理状態で実に些さ細さいなことに揺れるのです。 患者の顔をほとんど見ずパソコンと対峙(たいじ)し、全く機械的にデータを打ち込む医師。それと対照的に温かい表情で「こんにちは○○さん、今日はどうしましたか?」と患者の心をほぐしてくれる医師、実にさまざまです。 口腔(こうくう)内には異常なしとのことで耳鼻科にまわされ、そこで頭痛を訴えたら間髪を入れず「それ僕の分野じゃないから脳外科に行って!」。その言葉に心が凍り、自身をサイボーグ人間のよう扱われたこともありました。その時ひとこと「ああ、それはつらいでしょう」という言葉があればどんなにか気持ちが楽になったことか。 「久保田さん大丈夫。痛みがとれるまで一緒に頑張ろう!」。そのひとことに深い安心感を得ました。 医師の言葉には、患者の病気に立ち向かう気持ちを大きく左右する計り知れない力があります。“ひざつき合わせて話す”の例えどおり、相手と正対し顔を見て話すことで初めて心が向き合うのです。 病院に限らず人とのかかわりの中で、「名前を呼ばれる」「笑顔で向き合う」「話を聴いてもらう」「よく頑張ったなどとほめてもらう」―があると、年齢にかかわらず人はみなうれしいはずです。なぜなら生きる根元である。“自尊心”が保てるからです。 大部分のクレームの原因は「私を粗末に扱った!」で占められるといわれます。 何げなく発したたったひとことが、心を傷つけたり癒やしたりします。 言葉はまさに生きもの。本気になって口に出した言葉は言霊(ことだま)となり、その方向に確実に流れます。 何があっても「これでいいんだ」という肯定言葉は、脳に強烈な「快」の信号を送ります。イマージュの社員教育研修もその点に特に心を置き日々努力しています。 (上毛新聞 2010年1月11日掲載) |