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農業・食品産業技術総合研究機構理事・中央農業総合研究センター所長        
                              丸山 清明
(茨城県つくば市)  



【略歴】前橋市出身。東京大農学部卒。北陸農業試験場(稲の育種)、作物研究所長、北海道農業研究センター所長などを歴任。農学博士。2006年8月から現職。



人口の増加



農業技術の進歩による




 人口は獲得できる食料の分だけ増えてきた。国立民族学博物館の小山修三名誉教授が遺跡数から縄文時代の人口を地域別に割り出した数値がある。それによると、縄文時代中期(5千~4千年前)では、関東が一番人口密度が高く、100平方キロに300~450人程度と推定されている。

 一方、関東平野の平地林の食料生産力から推定すると、2キロ四方で1人を養えるという推定がある。100平方キロに換算すると、25人である。この差はどこから来るのだろうか。

 ひとつには、縄文中期は気候が温暖で、海水面が今より5メートルほど高く、入り組んだ海岸線で魚介類が豊富だったことである。多数の貝塚がそれを物語る。

 縄文遺跡ではソバ、ダイズなどの種子が発見されている。これらの種子は日本原産ではないので、農作物として持ち込まれたはずである。これも人口密度が高かった理由であろう。しかし、農業による人口増加は稲作が広まった弥生時代以降である。

 江戸時代から統計がしっかりしてくる。初期の人口は約1200万人、それが100年ほど後には3千万人を超えた。この間に、耕地は約200万ヘクタールから300万ヘクタールに急増した。戦国時代が終わり、領地を定められた大名たちが盛んに開田を行った結果である。

 しかし、それ以降の150年間は人口も、耕地もそれほど増えなかった。その理由として、豊かになったので、それほど真剣に人口や耕地を増やす必要がなかったのだろう、と主張する学者も少なくない。今の日本のようである。でも、やはり理由は農業にあったと思う。当時の人海戦術で開田できる土地がなくなったのだろう。

 江戸時代の米の収量も推定されていて、初期は10アール当たり150キロ程度。終期でも200キロを超えなかった。現在の550キロと比べて著しく低い。

 現在の高い収量は農業技術に支えられている。1961年の世界の人口は約30億人、現在は約68億人である。この間の耕地面積は約7億ヘクタールで増えていない。ところが、穀物の収穫量は8・8億トンから23・5億トンと2・7倍に増えた。米で2・3倍、トウモロコシで2・6倍、小麦で2・6倍と収量が向上したことによる。収量が増えたのは農業技術の進歩と普及による。

 20世紀に開発された主な農業技術を年代順に列挙すると、メンデルの法則に基づいた交配育種による品種、農業機械、ハーバーボッシュ法による窒素肥料の合成、農薬、灌漑(かんがい)工事などである。このうち、特に効果が大きかったのは合成窒素肥料である。筆者は世界の食料の30億人分は合成窒素肥料に依存していると推定している。北朝鮮が食料のほかに化学肥料の援助を要求するのは当然のことなのである。






(上毛新聞 2010年1月9日掲載)