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◎蚕糸の歴史と文化知る 「富岡製糸場を世界遺産にしよう」という動きがあることを知ったのは、5年前の5月ごろでしょうか。もうずいぶん昔のことのような気がしています。県庁に用事があって出かけたところ、「世界遺産登録運動の普及啓発活動に取り組む伝道師養成講座を開きます。ご参加ください」と書かれたビラをいただきました。「まだ3人しか応募がないんです」とやや悲痛な面持ちの県担当者。ビラをながめて「世界遺産? あの片倉の製糸場が?」とまず驚きました。貴重な文化財として「史跡」に指定しましょう、あるいは「保護」しましょうと言うなら分かりますが、「世界遺産」ですって? まったく思ってもみないことでした。 昨年11月の当欄で、わが「富岡製糸場世界遺産伝道師協会」会長が「当初は否定的な反応が多かった」と記しています。こんなことを言ってはなんですが、私も半信半疑でした。ただ、日本の近代化を支えた産業を世界に発信してゆこうという発想に、新鮮な驚きを抱いていました。 さて、養成講座を受講してみると、これが大変。1分間で自己紹介、3分間で話し合いの結果発表と追いまくられてパニックでした。まあなんとか第1回伝道師養成講座を修了、「伝道師」となりました。しかし私の中では肝心の「世界遺産」がまだ霧の中、「伝道師」の役割は何なのかと戸惑っていました。 2004年8月末に「伝道師協会」が結成され、具体的に宣伝活動を重ね、研修をしてゆく中で、ストンと胸に落ちるものがありました。伝道師の仲間を見渡すと絹産業(養蚕・製糸・織物)にかかわっていた人たちなど、実に多彩な経歴の人々が集まっていました。説明会やイベント会場では市民の方々が養蚕の苦労を語り、真綿をつくっていたこと、学校帰りに繭を煮ているにおいがしていたことなど生き生きと話されてゆきます。養蚕や糸づくりが生活の記憶のなかに、深くきざまれていると感じられました。降ってわいたような「世界遺産」運動ではなかったと気づかされた瞬間でした。 この歴史的文化的基盤があってこそ「富岡製糸場と絹産業遺産群」を、日本の近代化を支えた産業として世界に誇れるのですね。しかもこの絹産業は、実は決して「遺産」ではなく今も息づいている現役の産業として命脈も保っていることも知りました。伝統的な技法の継承とともに、新しい製品の開発や工夫に熱心な工場主さんたちにもお会いし、技術者魂とも言うべき姿勢にもふれることができました。彼らのなんとも楽しそうな語らいを聞いていると、この好奇心と研究熱心な心根が産業の礎だと思わされるのです。 次回からは私が出合った機械や技術の不思議についてお話しします。 (上毛新聞 2010年1月1日掲載) |