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数学・科学研究家  鈴木 数成(前橋市総社町)  



【略歴】群馬大大学院修了。群馬大、明和短大などで非常勤講師を務め、科学教室や野外活動を通しての人間育成にも力を入れる。ボーイスカウト前橋第3団所属。



「待っている」学生



「負の感情」の量が影響




 授業で気になっている学生の姿がある。問題を黒板に書き、解いてみるように促すのだが、ノートに問題文を書き写した後は何もせずに「待っている」のだ。

 初めのうちは問題が難しすぎたのかと反省したのだが、実はそうではなかった。彼らは解けないのではなく、解かないのである。解答が書かれるのを「待っている」らしい。

 彼らは考えてはいるらしいが、それをノートに書き出し、試行錯誤しながら、自分の考えを自分なりの方法でまとめようとはしない。その理由を聞いてみたら「自分の解答はあっているかどうか分からない」からだという。

 その気持ちは分からなくもないが、書きながら自分で解決しようと試みる中で見えてくるものがある。途中の思考過程の確認はもちろん、間違っていたらどこで勘違いをしたのかを確認できる。また、自分はどこまで理解をしていたのかも把握できるのだ。彼らは過程の大切さを教えてもらわず、結果だけに注目するよう育ったのだろうか?

 私は小学生の子どもたちとも活動している。彼らを待たせることは難しい。次から次へと挑戦したがり、行動も発想も奇想天外で、驚かされてばかり。彼らは実に生き生きと積極的に行動する。何も恐れずのびのびとしているその姿は先の学生とは対照的である。

 年齢や活動内容の違いがあるので単純に比較することは無理だとしても、年齢があがるとともに積極さが姿を消し、あまりにも消極的な人間になってしまっている。十数年の年月の中で、キラキラと輝いていたチャレンジ精神を奪った犯人は何であろうか。

 それはその子が経験してしまった「負の感情」の量が大きく影響していると推測する。間違った時に笑われて恥ずかしい思いや悔しい思いをした者は、同じ思いをしたくはないと、間違うことを嫌うのは仕方のないことである。苦い思いや経験は簡単には拭(ぬぐ)えない。私が出会った学生たちにはその辛(つら)い経験の積み重なりがあったのではないか。

 私は学生に「間違ったらラッキーだと思いなさい」と話をする。「間違っていたものは正確な情報に替えていけばよいのだから」と添えて。少なくとも授業中は答えが間違っていても正解に向け再挑戦することが容易にできる。うまくいかなかったとしても、大人から過程を評価されたり、間違いをポジティブに受け止められるような言葉をかけてもらえたら、こんなにも消極的な姿にはならなくてすむのではないだろうか。

 これからは、子どもが間違った時は「だめ」ではなく「惜しい」と言ってみよう。再挑戦したらほめて励まそう。目標や正解にたどり着いたら一緒に喜ぼう! 子どもたちはきっと変わってくる。われわれの未来も楽しくなるはずである。







(上毛新聞 2009年12月28日掲載)