視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
. | |
|
|
◎伝えたい銅山の光の面 足尾歴史館(栃木県日光市足尾町)を立ち上げるきっかけとなったのは、2002年5月から11月まで7カ月間、足尾町公民館で開かれた「ふるさと足尾歴史セミナー」でした。講話、調査を通じ、すべてが初めて知ることばかりで大変興味を持ちました。 わずかの時間の学習では、残念ながら身につくことは難しかったため、セミナー終了後、7人の受講生の皆さんに「これからは、私たちだけで勉強しませんか」と呼びかけました。そこで足尾銅山のガイドブックを作成することになりました。当時の公民館館長のお力をお借りし、03年1月から毎月1回集まって100項目のガイド地点を選んで執筆を分担し、04年3月末、「足尾銅山百選 産業遺産保存活用の手引き」を完成させました。 その後、組織を作ることになり、私たち以外の方たちに呼びかけて、05年4月、10人で立ち上げました。会を「楽迎員(がくげいいん)協会」と名付け、集めてきた銅山の資料を展示するために旧スケート場を改修し「足尾歴史館」を開館しました。この際、建物の清算や整備、リニューアル、さらに周辺の整備などで、延べ350人の方々に物心両面からご協力をいただきました。 足尾歴史館を始めるとき、次のような目標を立てました。 (1)内外のガイドができるようにしよう(2)足尾に来た人たちが、足尾を知るところ、足尾が分かるところにしよう(3)交流の場にしよう(4)足尾銅山が公害の原点としか語られず、近代国家づくりに大きく貢献したこと、光の面を知らせたい(5)足尾の関係者に誇りをもち、胸を張っていただきたい―。 足尾銅山について私は、古河鉱業がこの山奥に東洋一の世界有数の銅山を開発し、併せて教育、運動、芸術、芸能、俳句と、あらゆる文化、運動を奨励し、一大産業鉱都をつくり上げた、ととらえています。 開館後の状況を振り返ると、当初考え、計画した構想の何十倍もの高い評価をいただいています。今では展示物も30倍くらいに増え、しかも毎月のように各地のさまざまな方々から、当館にふさわしいものを種々寄託していただけるようになりました。 当館の存在も徐々に知られるようになり、北海道、九州からの来館者もいて、大学教授、学生、小中学校の先生、児童、生徒をはじめ、生涯学習、公民館活動の一環としてテーマを掲げてこられる団体も多くなりました。「わたらせ渓谷鉄道」に乗るためだったり、環境学習を目的とする人もいて、さまざまな分野の方々が足尾に関心をもって訪れるようになり、館内外のガイドに忙しく活動しています。 (上毛新聞 2009年12月19日掲載) |