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NPO法人Jコミュニケーション代表理事  高橋 清乃(前橋市駒形町)  



【略歴】前橋女高卒。日本語講師。2000年にニュージーランドの小学校などで指導。03年に伊勢崎市に日本語教室開設。県などの委託で市内外で日本語を教える。


日系人の苦難



文化の違い認め合って



 1986年に子供を対象にした英語教室の指導者講習に参加して、英語の楽しさに引き込まれました。オーストラリアで日本語研修を受けた後、ニュージーランドで日本文化や日本語を教えるボランティア日本語教師を体験しました。そして昨年、NPO法人Jコミュニケーションを立ち上げ、外国人への日本語教育を中心に活動しています。

 今までに、日系ブラジル人、日系ペルー人をはじめ、タイ、フィリピン、アルゼンチン、ドミニカ、バングラデシュ、中国、韓国、オーストラリア、アメリカ、スロバキアとさまざまな国からの生徒に教えてきましたが、皆とても熱心な人たちばかりです。毎日通えば3カ月から半年で基本的なことが分かるようになるので、徐々に上手になる会話を、私自身も楽しんでいます。

 昨年のリーマンショック以来、日系人たちは仕事がなくなり、厳しい状況となっています。実際、私の教室に来ていたブラジル人、ペルー人はほとんど辞めていきました。「仕事がないので引っ越しする」「仕事を探さなくてはいけないので教室に来られない」などと聞きます。伊勢崎市のブラジル、ペルーの人口を見てみると、1割弱程度の減なので、たくさんの人が帰ったといわれていますが、まだまだ残って働き口を探している人が多いということでしょうか。

 国や県により、そんな人たちのための日本語教室が開催されるようになりました。目標は自分で仕事が探せるようになること。今まで派遣会社に頼って仕事をしていた人たちは、日本語を特に必要とせず、派遣会社に言われたところへ行き仕事をすればよい状況でした。しかし、仕事がなくなり派遣会社がだめになり、日本語が話せないまま日本社会に放り出された格好の日系人たちは、路頭に迷うことになりました。

 日系人というのは、かつて日本政府が奨励したブラジル、ペルー移住に参加し、現地での生活になじむのに、日本人として苦労してきた人たちでの子孫に当たります。『航跡―移住31年目の乗船名簿』(相田洋著)にその詳細が書かれています。

 日本は1990年の入管法改正で、人手不足解消のために日系人の入国を簡単にし、日本で簡単に働くことができるようにしました。日系人は、長く日本を離れ、それぞれの国の文化の中で暮らしてきた人たちです。また、おじいさんおばあさん、お父さんお母さんから聞いた日本とは違った日本での生活はとても難しいことのようです。

 そんな人たちと文化の違いを認め合い、お互い働く社会人として良いお付き合いができるよう、お手伝いができたらよいと思っています。




(上毛新聞 2009年12月5日掲載)