視点 オピニオン21
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弁護士  橋爪 健(高崎市江木町)  



【略歴】高崎高、中央大法学部卒。1999年度群馬弁護士会副会長。同弁護士会人権擁護委員会委員長などを務め、2009年度は刑事法委員会委員長。


裁判員裁判への心構え



◎臆せずに自分の意見を



 裁判員裁判が全国各地で始まっている。前橋地裁では公判第1号事件が12月8日に開始されることになっており、すでに裁判員裁判の対象事件が続々と起訴されている。それらの事件では、公判前整理手続きなど法律で定められた裁判員裁判に向けた準備作業が行われている。

 統計上、群馬県内の対象事件は年間約60件程度と言われているので、来年には群馬でも裁判員裁判は日常の風景になっているのかもしれない。

 さて、今回、縁あってオピニオン委員となり裁判員制度について何回か意見を表す機会を与えられた。不勉強の身ゆえ、まともな意見など述べられないのではと不安でいっぱいである。

 考えてみれば、裁判員は、裁判の評議の場で自分の意見を表明し、裁判官やほかの裁判員の意見を聴き、判決を形成していく役割を担うことになる。まさにオピニオン(意見、見解)が求められているわけだ。

 しかも、意見を発表する対象は、重大犯罪で、場合によっては有罪か無罪か、死刑か否かという非常に深刻で重大な選択を迫られることになる。裁判員にのしかかる重圧や不安が大きいのは当然である。

 そんな重圧を市民に課すべきではない、「餅(もち)は餅屋」で裁判官に任せておけばよいではないか、との意見もある。しかし、いわゆる先進国では陪審制、参審制などことごとく国民が刑事司法に参加する制度を採っている。国民が負担を負いつつ自ら裁判に関与する社会の仕組みを作っているのである。刑事裁判を裁判官に任せきりにする制度はもはや国際標準ではない。

 これまで日本人は、場の空気を読んで、自分の意見を持たない、述べない、と言われてきた。裁判員制度はそんな日本人の行動様式に変化を与えるのではないかとも言われている。

 法律の専門知識がないのに素人の市民がまともな意見など述べられるはずがない、と決めつける向きもあるが、裁判は事実の判断が中心である。裁判員に求められているのは常識に基づいて証拠から事実を判断し、刑罰の重さを決めることで法律知識にかかわることは裁判官が引き受けてくれる。

 素人だからと臆(おく)したりひるむことはないのである。

 各種世論調査では裁判員に選任されたくないと希望する国民の割合が高いとされているが、半面、裁判員体験者の感想を新聞報道で読むと、この制度への肯定的コメントが大多数のようである。

 12月5日午後1時から群馬弁護士会主催により、ぐんま男女共同参画センターで「冤罪(えんざい)と裁判員制度を考える市民集会」が開催される。多くの皆さまの御来場をお願いする。






(上毛新聞 2009年11月28日掲載)