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共愛学園前橋国際大学長  平田 郁美(高崎市上中居町)  




【略歴】横浜国立大卒、都立大大学院修了。理学博士。横浜国立大助手などを経て共愛学園前橋国際大教授。2008年4月から現職。県地域新エネルギー詳細ビジョン策定委員。



40歳からの挑戦



◎精いっぱい打ち込んで




 医師をしている友人がいる。専業主婦であった彼女は、40歳をすぎてから医師を志した。生まれたばかりの姪(めい)が大きな病にかかったことがきっかけだった。

 彼女とは、大学時代同じ研究室で学んだ。彼女とともに取り組んだ卒業研究は、学生時代のもっとも楽しい思い出のひとつだ。卒業後、彼女は故郷に帰って中学校の理科の先生になり、その後同僚の先生と結婚して、家庭に入った。

 40歳をすぎたころ、彼女は突然医学部を受けると宣言し、受験勉強を始めた。大きな病にかかった姪を交代で看病するうちに、直接命を救うことのできる医師になろうと思ったそうだ。私には「受験勉強は体力と記憶力。若いからできる」という思い込みがあり、無謀ではないかと思った。しかし彼女は、「持久力では18歳にかなわないが、集中力では負けない。さまざまな経験をした分、理解力が格段に上がる。周りに言われて勉強した18歳の時より、自分で勉強したいと思った今のほうが、記憶力も高い」という。そして1年後、センター入試で9割の得点をあげ、2次試験も乗り越え、彼女は医学部の学生になった。医学部での6年間は、受験勉強の何十倍も大変だったそうだ。しかし彼女は志を貫き医師になった。救急救命での経験を経て、今年からホスピス病棟に勤めている。人生の最終ステージには、患者本人、家族さらには周りの人々の生き方が凝縮される。今までの自分の経験はこの仕事につくためにあったと、彼女は今最高に輝いている。

 若い人のなかには、若い時にしか学べないし、新しいことに挑戦できないと思っている人がいるかもしれない。しかしそうではない。40歳を過ぎてから医師を目指した彼女のように、人間はいくつになっても挑戦できるし、変わることができる。若い時の選択によって、たしかにその後の人生は大きく変わるが、それで一生が決まるわけではない。この選択が最後と思うから、若い人はつらくなる。一歩が踏み出せなくなる。

 100年に一度とまで言われる経済不況は、若い人たちの就職活動にも深刻な影を落とした。そのためにがんばってきたあこがれの仕事とは違う仕事を志すことになる人もいるだろう。どこから次の一歩を踏み出してよいか、悩んでしまう人もいるかもしれない。しかし、まず目の前のことを精いっぱいやってみよう。人生何が幸いするかわからない。精いっぱい打ち込んだことが無駄になることは決してない。一歩進むとそこにまた新しい道が開ける。





(上毛新聞 2009年11月2日掲載)