視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
.
ザスパ草津トレーナー   香城 洋平(前橋市石関町)  




【略歴】石川県白山市出身。小学3年から高校時代までサッカーに取り組む。石川県星稜高校サッカー部などのトレーナーを経て、2005年から現職。鍼灸(しんきゅう)師の資格も持つ。



トレーナーという仕事



◎努力してつかんだ夢




 私の職業はプロサッカーチームのトレーナーです。けが人が多発したり、なかなか治らなかったり、そしてチーム状況が良くないときなど、逃げ出したくなることがたまにあります。また勝ち続けているとき、けが人がいないときなどは、まれにではありますが、気が少しゆるむこともあります。そんなとき、私はなぜプロサッカーチームのトレーナーになったのかを思い出します。

 私は小学校3年生から高校卒業まで、ずっとサッカーを続けてきました。サッカーが中心の生活でした。将来はプロ選手になって、サッカーで生計をたてたいという夢を抱きながらサッカーを続けてきました。そんな高校2年生のころのある日、私はひざの前十字靱帯(じんたい)断裂というサッカー選手にとって致命的なけがを負い、プロサッカー選手の夢を、志半ばであきらめなければならなくなりました。

 でも、サッカーは好きでした。何とかプロサッカーの世界で職を得たいと、高校3年生になっても毎日考えていました。そんな中、私の頭の中に描かれてきたのが「トレーナー」でした。

 私は大けがを負ってプロサッカー選手をあきらめました。そのような選手を一人でも救えたら、私と同じ状況の選手を二度と出したくない、そんな思いを胸に、プロサッカーチームのトレーナーになるため、鍼灸(しんきゅう)学校入学を目指し猛勉強を始めました。ちなみにJリーグの各クラブのトレーナーの9割方は鍼灸師の国家資格を保持しています。そして無事鍼灸学校に入学し、国家試験も合格し晴れて鍼灸師となりました。ようやくトレーナーとしてのスタートラインに立てました。

 現在は、私の夢であり目標であったプロサッカーチームのトレーナーを務めることができています。ここまで来る過程で、私なりにたくさんの時間を費やしたくさんの努力を重ね、そして絶対にプロサッカークラブのトレーナーになれると信じ毎日を過ごしてきました。

 プロサッカーチームのトレーナーは基本的に選手同様契約によるものです。せっかく自分自身で得た夢を私は簡単に手放したくありません。だからこそ逃げたくなったとき、気がゆるんでいるときは、自分自身の夢をつかんだ過程を思い出します。思い出して、夢をつかんだ幸せをかみしめ、自分自身を引き締めます。夢をつかむのはすごくたいへんですが、手放すのは簡単なのです。

 今回の原稿でこの欄の私の担当は最後になります。これまで、お付き合いいただいた読者の方々に深くお礼を申し上げます。





(上毛新聞 2009年10月15日掲載)